筆者がこの話をすると「恭順すれば新政府と戦うこともないのだから、たとえ軍艦が戻されなくても関係ないではないか」という疑問を呈されることがある。たしかにこの翌年に戊辰戦争が終結し、さらにその数年後には大名と藩そのものが日本から消滅することを知っている私たちはついそう考えたくなるが、先ほど見たとおりこの時点での情勢はいまだ流動的である。

 18世紀のプロイセン国王フリードリヒ2世の至言「武器のない外交は、楽器のない楽譜のようなもの」をここで持ち出すまでもなく、徳川家の新たな所領も含めて幕府瓦解後の新秩序が確定的なものとなっていない状況で、海軍力がどれだけ徳川家に残されるかは決して小さな問題ではない。また、別の視点で考えると、大名としての存続を許された徳川家は軍役上、遠からず決定されるはずの所領に応じた軍事力を保有しなければならない。新政府への恭順は必ずしも徳川家の完全非武装化を意味しないのである。

どっちつかずの行動が
榎本の運命を決めた?

 二つ目がただちに艦隊ごと脱走して奥羽越列藩同盟へ合流する選択肢である。これは榎本にとり政治的合理性のある選択であり、海軍力を欠く同盟軍を大幅に強化できるのみならず、榎本にとっても同盟の勢力下にある商港で物資を確保できる利点がある。これらの商港に造修機能は期待できないものの、補給機能を得られる点は大きい。さらに、同盟諸藩の領有する炭鉱から石炭を入手することもできる。

 ただし、新政府軍が関東や北越で有利に戦いを進めつつあり、さらに東北を窺う現状にあっては同盟への合流はすぐ行う必要がある。他方、徳川家処分が決定されていない状況で榎本が艦隊ごと同盟へ身を投じれば新政府の徳川家への目は厳しいものとなり、徳川家処分への悪影響は避けられないだろう。