にもかかわらず、現代の著述家たちの多数が『リヴァイアサン』を扱うやりかたは、ルソーの『不平等起源論』が扱われるやりかたとおなじである。つまり、あたかも『リヴァイアサン』が進化論的歴史研究の基礎を築いたかのように扱っているのである。そして、両者の出発点はまったく異なっているのだが、その結果はかなり似通ったものになる。

 心理学者のスティーヴン・ピンカーはこう述べている。「前国家的状態にある人びとの暴力という点では、ホッブズとルソーの言うことはでたらめだ。2人とも文明以前の人間の生活については何ひとつ知らないからである」。

 この点では、ピンカーはまったくただしい。しかしながら、かれはただちに、読者につぎのようにもとめる。1651年のホッブズはともかくもただしい推論をおこない、「今日のどのような分析にもひけをとらない」人類史における暴力とその原因の分析にいたった、と。しかし、これからみるように、そんなことはまったくない。

 考古学者がロミート2(Romito2)と呼んでいる(発見されたカラブリアの岩屋の名にちなんで)遺体は、1万年前に埋葬された男性のものである。この遺体は、重度の低身長症である希少な遺伝子疾患(先端骨形成不全症)を有しており、そのため、生前、共同体内では変則的な存在とみなされていただろうし、かつ、かれらの生存に必要な高地での狩猟に参加することもできなかっただろう。

 ところが、かれの病理についての研究は、概して健康状態や栄養状態が悪かったにもかかわらず、おなじ狩猟採集民の共同体は、この人物を乳児期から成人期まで苦心して支え、他の人間とおなじように肉を分け与え、最終的には丁寧に保護して埋葬していたことを示している。

書影『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』(光文社)『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』(光文社)
デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ 著

 ロミート2は、孤立した特殊事例ではない。考古学者が旧石器時代の狩猟採集民の埋葬をバランスよく検証すると、健康上の障害が高い頻度で発見されるいっぽうで、死の直前まで(なかにはきわめて豪華な埋葬を示すものもあり、その意味では死後も)、おどろくほど高いレベルのケアがおこなわれていたことがわかるのである。

 古代の埋葬された遺体からえられた健康指標の統計的な頻度にもとづいて、人間社会が原初的にどのような形態をとっていたのかについて一般的な結論をくだすとすれば、ホッブズ(やピンカー)のそれとは真逆のものになるだろう。

 つまり、原初にあって、人間の暮らしが、いとわしく、残忍で、短いものである必然性は端的に存在しない。それよりも人間という種は育成やケアをする生物種であった、と、このような結論になるだろう。

●訳者
酒井隆史(さかい・たかし)/大阪公立大学教授。専門は社会思想史、都市社会論。主要著作に『通天閣』(青土社)、『完全版 自由論』(河出文庫)、『暴力の哲学』(河出文庫)、『ブルシット・ジョブの謎』(講談社現代新書)、『賢人と奴隷とバカ』(亜紀書房)。訳書に、ピエール・クラストル『国家をもたぬよう社会は努めてきた』(洛北出版)、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』(共訳、岩波書店)『官僚制のユートピア』(以文社)『負債論』(監訳、以文社)、マイク・デイヴィス『スラムの惑星』(監訳、明石書店)など。