白熱電球を発明したことで有名なエジソンは、ふだん消化不良の持病で苦しんでいた。
1885年7月13日、彼はエジソン電気会社に向かう電車を途中で降りて、会社まで歩いていった。そしてその日、日記に「消化不良の苦痛を和らげることができるかと思い、オフィスまで3キロメートル歩く実験をした」と記した。このエピソードから、彼がどんな点で人より優れているかがわかる。
エジソンは自分の行動を「実験」だと定義した。彼はどんなにささいな問題であっても、その解決策を求めるために意図的で意識的な努力をしたなら、それを実験だと考えた。問題の大小にかかわらず、彼はそれを頭痛の種ではなく、実験の対象とみなした。
彼にとって失敗とは、仮説が間違っていたという事実を教えてくれ、新しい仮説が必要だということを悟らせてくれる、もうひとつの成功体験だった。失敗を成功だと思うことができたからこそ、彼は発明王になれたのだ。
わたしたちもまた、鄭周永会長やエジソンのように、常に何かを実験しながら生きている。そして時々失敗する。だがそもそも、行動を実験と思える人はあまりいない。失敗をもうひとつの意味の成功と考える人もあまりいない。優れた人と平凡な人は、まさしくこの点に違いがある。
イ・ミンギュ 著 吉川南 翻訳
エジソンがふつうの人と違うのは、他の人が「経験(Experience)」と言うところを「実験(Experiment)」と考えた点だ。
呼び方が変われば考え方が変わり、考え方が変われば行動も変わる。経験と実験はどちらも「試み」「証明」を意味するラテン語「エクスペリエンシア(Experientia)」が語源だ。そして経験と実験にはどちらも「試行錯誤」という概念が含まれているため、実際、ふたつの言葉は同じ意味を持つ。
告白したい相手がいるのに、説得したい人がいるのに、「恥をかくのではないか」「言っても無駄だ」と思えてしまうようなら、そのままあきらめるのではなく、その状況を実験だと考えよう。しっかり観察して、仮説を立ててみよう。解決策を導き出し、実験してみよう。
実験だと考えれば、ためらうことはない。1%の可能性もないこと、文字通り100%失敗するに決まっていることでも、その失敗を経験した人には残るものがあるからだ。
小さなことをするときでも、それを意識的に実験だと考え、失敗したときでも、ただ実験によって仮説が覆されただけだと思えば、あなたにいくつかの変化が起こるだろう。
人生は常に実験の連続だ。One Day, One Experiment!