パチンコ、麻雀、女、酒、タバコを欠かさず、ほぼニート状態の父親。それに母親が共依存するという複雑な家庭環境に育った。14歳のとき、父親が自己破産して失踪。貧しい生活を支えた母親は病に倒れ、半身不随に。苦境のなか、独学で大学に合格、奨学金を得た。そして、兄・成田悠輔がくれた本をきっかけに「起業」を志した。話題の書『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)の著者・成田修造は、体当たりで起業家の道を歩むようになる。本書は起業を通じた人生の指南書で、何歳からでも起業・独立・副業でビジネスを展開するときに必須の内容。これからは会社員であっても、自分で事業をつくれると強い。その思考法とノウハウを全公開する。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

攻撃的な言動で周囲に馴染めない「ちょっと目立つ問題児」が秘めたものPhoto: Adobe Stock

無力感に苛まれる日々

父が失踪する前から、僕は「何をしてもうまくいかない」と無力感を抱えていました。

小学6年生のとき、私立中学の受験に挑戦したものの、第一志望の学校に落ちてしまい、次の目標を見つけられず、悶々と日々を過ごしていたのです。

もっとも、中学受験にそこまでの思い入れがあったわけではなく、兄が父と同じ麻布中学に合格したので、なんとなく僕も受験をしただけでした。

周囲になじめない中学時代

そうして僕は滑り止めで合格した中学に入学したのですが、周りの同級生や先生となじむことができませんでした。

中学受験に落ちたとはいえ、自分で言うのもなんですが、僕は他の同級生より成績がよく、スポーツも得意なほう。

積極的に、そしてハッキリと、自分の意見を主張するタイプでもあったので、何かと目立つ存在でした。

攻撃的な言動ゆえに
先生に目をつけられる

とはいえ、決して人気者だったわけではありません。強気な性格で周りとよく衝突していました。

同級生にプレッシャーをかけたり、先生の言うことに反発したりしていたことを、今でもよく覚えています。

怒られても反発するような生徒だった僕は、先生からますます目をつけられるようになります。

「ちょっと目立つ問題児」が秘めたもの

でも、いくら怒られても納得できないものは納得できない。

周りにうまく合わせられなかった僕は、大きな夢や目標を持つこともなく、「ちょっと目立つ問題児」を続ける日々でした。

今にして思えば、あの頃の僕の中には、他人からは見えない“秘めたパワー”があったのだと思います。

※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。