自らの発言力を増すことで
適切な情報を伝えたい

――エイトさんは、拘置所にいる山上徹也被告に対して複数回手紙を出されています。2通目の手紙で、山上徹也被告の裁判では「安倍元首相をターゲットにしたことへの相当性」「被告がその確信に至ったことへの相当性」が問題になることが想像され、そうなった場合に、エイトさん自身が証人として出廷することも意見書を提出することもいとわない、と書かれています。

 公判前整理手続きが行われていない現在の段階では、何がどうなっていくのかを想像することはまだ難しいところがあります。弁護側がどの程度、事件の動機面を争点にしていくのかはまだ分かりません。いろんな可能性があり、弁護方針によって変わりますが、動機面を正面から取り上げるという方向性はあり得るし、私はそうしてほしいという思いがあります。

 山上徹也被告は事件前に私が旧統一教会と安倍元首相について書いた記事を全て読んでおり、一連の流れについて書き続けてきた報道は他にないので、彼の動機面を本人以外で説明できるのは私以外にはいないのではないかと考えています。

 そうなった場合「私は出廷します」「証言もします」ということを担当弁護人に伝えています。旧統一教会と政治家の関係に詳しい人物として争点になった際は「お願いする可能性がある」ということも弁護人から言われています。

――エイトさんのジャーナリストとしての活動やご自身の生活は、事件以来、どのように変わりましたか?

 根本は全く変わっていませんが、取り巻く状況は一変しました。こんなにメディアに露出するようになるとは思わなかったし、このような形でインタビューを受けるような存在ではありませんでした。多少戸惑っているところもありますが、実はそんなに戸惑ってもいなくて、全ては必然のような印象があります。

 自分が出演していない場合でも、テレビなど見ていて、ヘンな発言をするコメンテーターがいると、自分がその場にいれば「それ、違いますよ」と言えるのに、と思うことがよくあります。私は「ブロックゲスト」「専門家ゲスト」という扱いの立場なので、まだまだ発言力も強くありません。

 これは事件直後に思ったことなのですが、「それ、おかしいですよ」と言える立場にならないと何も始まらない。それもあって、あの事件以降、少し自分を売り込んでいった部分もあります。「売れたい」「もうけたい」ということではなく、発言力を増して、人から無視されない存在になることによって、適切な情報をもっと伝えられるのではないかという思いがあるのです。

――事件前は、旧統一教会のことについて本を書こうとしたり記事を書いたりしても、ネタとして注目されていないので、メディアから相手にしてもらえない時期が続いたことも書かれていました。

 一時期、書く媒体がほぼなくなりました。ノンフィクションの賞に応募したり、企画書を作って持っていったりしても、どこも受け入れてくれませんでした。そうした中であの事件が起きました。

 この1年に関しては「やっとみんなこの問題に気づいてくれた」という気持ちがあります。みんなやっとこのネタを追ってくれるようになった。人が亡くなっているので、適切な表現ではありませんが、問題に気づいてもらったことに関しては喜びもありました。

 地方局も含め、大手メディアの取材力には感心します。自分で追いきれなかった部分も次々明らかになり、いろんなピースがつながっていく。旧統一教会に関する報道では、健全なスクープ合戦が行われていると思います。この1年新たに出会ったメディア関係者の方々も悪い印象を持った人はほとんどいませんでした。「こんなにちゃんとした人たちが、ちゃんと追ってくれているのだ」というありがたさを感じています。