「撤退」の英断を誰が下すのか

 では、このように、かなり追い込まれているように見える万博をどうすれば良いのか。

 この地域イベントを国家イベントとして捉え直し、大義・名誉・経済的メリットのあるものに仕立て直し、「ちゃんとお付き合いしないとまずいな」と他国、企業に思わせるだけのリセットができれば良い。しかし、そんなことが今からできるだろうか。開催は25年なのだから、残念ながら間に合わず、無理であろう。

 だとすれば、もはや中止しかない。これまで費やした手間暇お金、国際的な恥辱……いろいろあろうが、そもそも、この万博というフォーマット自体、サイバー空間で世界がつながる時代には「オワコン」だ。このようなものの開催にエネルギーを注いだことが無駄だったのである。

 大がかりな建設工事が始まる前にやめてしまえば被害も最小限で済む。なお、ゼネコン関係者は万博を開催した方がもうかるのではないかと思う向きもあるかもしれないが、昨今の資材の高騰や人手不足が続く現状では、なかなか手出ししにくいと思われる。というのは、こうした公共的な事業の場合、当初の予算以上にコストがかかった分は持ち出しになってしまうことが多いからだ。

 70年の万博プロデューサーで、当時通商産業省(現在の経済産業省)官僚だった堺屋太一氏は、25年の大阪万博を提唱する際に、民の文化を醸成してきた大阪が万博を契機に、大阪という都市を日本だけでなく世界でどう位置付けるかを考えた。「自主独立の文化をもう一度生み出し、大阪の誇りを取り戻すことは、日本にとって有益になる。今こそ発想を大転換し、再び日本の中心たる大阪を目指そう」と考えたようである。今回の万博にはこの思想が確実に踏襲されている。

 そう考えること自体が悪いことだとは思わないが、それであれば大阪かつ民間だけで完結する内容にすべきだったし、そのための媒体は万博という「オワコン」の様式ではなく、別のものを選ぶべきであったのであろう。私は堺屋太一氏を心から尊敬しているが、かつての万博で優れた手腕を発揮した人物であっても、晩年のその視点は、時代や社会の変化を正確に捉えることができていなかったと思わざるを得ない。

 と、ここまで厳しいことばかりを書いてきたが、それでも再びあの感動を味わいたいという気持ちは今でも変わらない。今から中止することはないのであろうから、事務局の方、関係者の方、一筋縄ではいかない難しい局面だが、どうか頑張って素晴らしい万博にしてほしい。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)