ただ、私たち侍ジャパンが挑むWBCという舞台は、「世界」が相手です。世界最高峰のメジャーリーグでハイレベルな角逐を繰り広げているスター軍団と、メジャーリーグで実績を残した監督やコーチと、1球で勝敗が変わるような勝負をしなければなりません。

 私が積み上げた10年の経験は、あくまでも日本のプロ野球で得たものであり、WBCで実際に生かせる場面はおそらく少ない。いや、生かせると思ったら、時代から取り残されてしまう、と理解しました。

 初期のモンゴル帝国に仕えた官僚の耶律楚材は、多くの名言を残しています。そのなかのひとつに、「一利を興すは一害を除くに如かず」というものがあります。「ひとつの利益のあることを始めるよりは、ひとつの害を取り除いたほうがいい」とか、「新しいことをひとつ始めるよりは、余計なことをひとつやめるほうがいい」といった解釈が当てはまるでしょうか。

 侍ジャパンの監督という「新しいこと」を始める私には、「余計なもの」として自分の経験を捨てる必要がありました。監督として必要な学びは、頭のなかに入っている。怖がらずに変わらなければ、と胸のなかで呟いていたのです。

 嘘偽りのない心境として、私のような経歴の人間に侍ジャパンの監督は荷が重いものでした。それでも、私に期待をしてくれた人がいるのです。

 名前も顔も知らないけれど、私を応援してくれる野球ファンもいる。自分に能力が足りないのは分かっているけれど、そういう人たちの思いに応える責任はある。それも、全力で応える責任がありました。

書影『栗山ノート2 世界一への軌跡』『栗山ノート2 世界一への軌跡』(光文社)
栗山英樹 著

 自分にはちょっと荷が重い仕事を任された。自分にはふさわしくない役職に就くことになった――そんなときは、胸がざわつきます。表面的には平静を装っても、心のなかには嵐が吹いているかもしれません。

 逃げ出したくなったりしたら、「人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜん」(※編集部注/古代中国の政治家・魏徴の「述懐」という詩の一節。人間は相手の志や思いの深さに心を動かされて仕事をするのであり、功名とか名誉とか金銭欲などの私欲は関係ない、という意味)と口に出してみてください。

 あなたならできる、やってくれる、と信じている人の顔が思い浮かんで、勇気が立ち上がってくるでしょう。困難に立ち向かう心こそが、勇気なのです。