ファイターズの監督だった私は、目前の試合で勝利を求めつつ、選手の成長も意識していました。しかし、一流選手が集まる侍ジャパンでは、勝つための最善の判断が何よりも求められます。送りバントでも、選手起用でも、情に流されずに指示を出す。選手に「どうして自分に打たせないんだ」とか「なぜ自分を代えるんだ」と思われることがあっても、それが勝つための最善策なら躊躇してはいけない。ためらいや戸惑いを見せたら、不信感を買ってしまうからです。

 強化試合では、「自分のなかにある監督像」を捨て去ろうとしました。ただ、10年もの時間で積み上げてきたものを、身体のなかから一掃するのはなかなか難しいものです。知らず知らずのうちに「いつもの自分」が出てしまいそうになり、私の変化は感じ取りにくかったかもしれませんが、稲盛さんの言葉は強く意識していました。「小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり」は、侍ジャパンの監督としての大きなテーマとなっていきます。

プロ野球監督としての10年の経験は
WBCという新しい舞台では余計なもの

 強化試合を終えてもうひとつ感じたのは、「これまでの経験を捨てられるか」ということでした。

 スポーツには「試合勘」というものがあります。私が侍ジャパンの監督に選ばれたのは、21年のシーズンまでファイターズを指揮していたことも理由になっていました。ゲーム勘、勝負勘、現場勘といったものがそれなりに磨かれている状態にあり、戦況が目まぐるしく変わっていくなかでも臨機応変に対応できるだろう、と期待されたのだと思います。

 ビジネスの世界で活躍しているみなさんなら、最前線で仕事をしていることで、臨機応変な対応ができたり、瞬間的にアイディアが閃いたりした経験があるのではないでしょうか。私の言うゲーム勘や勝負勘とは、まさにそういったものです。

 ここで重要なのは、勝負どころで働かせる「勘」と「経験」を、混同しないことです。経験とは自分が見たり、聞いたり、行動したりすることで得た知識や技術を指します。経験を積み重ねることは「この前はこうやったらうまくいった(いかなかった)」といった判断材料を増やすことであり、野球でも仕事でも、家事や育児でも、経験を役立てることができます。