決定的な違いはトーナメントです。私がそれまで戦ってきたプロ野球の世界には、負ければ終わりの一発勝負はありません。ファイターズの監督として過ごした10年の経験に、拘泥してはいけないことがはっきりしていきます。

 これまでの経験が生かせる場面があれば、うまく当てはめていけばいい。けれど、WBCにふさわしい思考を巡らせるべき場面が、必ず訪れるだろう。ファイターズの監督として過ごした10年間とは違うスタイルを作っていかなければならないのだ、との決意を固めました。

 では、それまでの栗山英樹と違うスタイルとはどんなものか?沈思黙考しているうちに、京セラの創始者にして日本航空の再建に尽力した稲盛和夫さんの「小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり」の言葉が、頭のなかで輪郭を帯びていきました。

 稲盛さんのいう人間関係の基本は、孔子の説いた「忠恕」の心にあると考えます。「良心的で思いやりや愛情のある接しかた」を心掛けたいものですが、盲目的な愛情ではいけないのでしょう。

 会社でも、学校でも、家庭でも、厳しい態度で接しなければならない場面があります。部下や同僚、同級生や下級生、あるいは子どもたちに、「それは間違っているよ」と指摘するのは、言う側の自分も神経がすり減ります。それによって、一時的でも関係がぎすぎすしてしまうかもしれない。できることなら波風を立てずに収めたいところですが、相手に迎合することは結果的に相手のためになりません。自分にも自分たちが属する組織にも、マイナスに働いてしまいます。

 相手にとって何が正しいのかを真剣に見極めて、必要なら厳しく接する。表面的な愛情は相手のためにならず、非情に徹することが相手の成長につながると、稲盛さんは教えてくれました。

 侍ジャパンの監督になった私は、「選手に嫌われることができれば、成功の可能性がある」と考えました。勢いや流れといったものに左右される短期決戦であり、準々決勝からは負けたら終わりのトーナメント戦ですから、非情とも思える決断も下していかなければいけない、と。

 2022年11月、侍ジャパンの強化試合が行なわれました。私の古巣であるファイターズと読売ジャイアンツ、オーストラリア代表との2連戦に臨みました。