地元の国民生活センターに、相談の電話をかけた。担当者は電話口で「北九州の小倉は競輪発祥の地。競艇場も競馬場もあるし、パチンコ店も多い。ギャンブルが盛んな地域だから、ご主人は依存症になっているのかもしれません」と、地元の医療機関を紹介してくれた。

 アルコール依存とともに、ギャンブル依存の治療も行っている病院だった。ギャンブル癖が治療の対象になっているなどとは思いもしなかったが、ヒサエさんは夫に外来のカウンセリングに通うように促した。自分自身は家族が集まる自助グループに入って、ミーティングなどに参加するようになった。

 だが実際には、夫が病院に通ったのは3回だけだった。「俺はもう大丈夫。治ったよ」。それまでの暗い表情は一掃され、笑顔でそう言った。とはいえ、それは心の底に澱のように沈んでいた借金が解消したことで、元気を取り戻しただけのことだった。

 自助グループでは、「ギャンブル依存を治すことは大変だ。多くが必ずスリップする」とも聞かされていた(アルコールも薬物もギャンブルも、依存状態から回復した後に、患者が再び依存対象に手を出してしまうことを「スリップ」と表現する)。

 あの人も、きっとスリップしてしまう――。夫の明るい表情を見ながら、そう確信していた。

自分自身も共依存して
夫婦で抜け出せない

 不思議だったのは、これだけ夫がギャンブルで借金を繰り返しても、三行半を突きつけるという選択肢が、それまでヒサエさんの頭のなかに一片も浮かばなかったことだ。

「ご主人を愛しているから?」そう尋ねると、ヒサエさんは「愛情ではないと思います。執着です」と即答し、一呼吸おいて、こう続けた。

「私は共依存なんです。壊れていたのは夫だけでなく、私もでした。ギャンブルによる借金を繰り返す夫と同じく、私も彼のしりぬぐいをやめられない。結局、私自身の問題でもあったのです。自尊心が低く、いつも捨てられるのではないかという不安を持っている。誰かに頼らないではいられない。それが私」。

 数年後、悪い予感は的中した。育児が一段落したため、ヒサエさんはある独立行政法人で契約職員としての職を得た。再び、夫がスリップし、ギャンブルに手を染めたのは、その直後だった。