この時も、ヒサエさんは今まで同様に怒りをコントロールしながら、あちこちから金をかき集め、なんとか返済をしたものの、さすがに忍耐には限界が近づいていた。ところが、そのときにヒサエさんが取った手段は、信じがたいものだった。

 毎月、決まった額を夫に渡す。毎月、夫に渡したのは月16万円だったという。言い換えれば、家計への返済を引いて、毎月10万円の小遣いを渡すことになっただけ。10万円を渡すのは、「くすぶっている熾火」に定期的に薪をくべるような話だ。これが共依存の性か。

 さすがに反省をしたのか、夫はその後5、6年の間は、毎月6万円の返済を続けた。だが、結果的に、夫は再びスリップした。パチンコに手を出したのは98年のことだった。

 しかも、このときの夫は、同時に「うつ」を発症し、会社を休職するという「負の加算」まで重なった。夫の疾病休暇は1年間にもなった。それでもうつ症状は改善せず、結局、早期退職することになり、さらに1年間、無職のまま自宅で過ごした。やがて、うつは軽快し、まもなく再就職を決めた。

 もともと、仕事はできる人だった。ギャンブルさえしなければ……。ところが。社会復帰を果たしたとたん、家の預金通帳から、再び勝手に50万円が引き出された。使い道は聞くまでもない。同じことを何度繰り返せば気が済むのだろう。

 2013年、結婚28年にして、ヒサエさんは生まれて初めての一人暮らしになった。家族を守りたい――。その思いだけで必死に耐え、なんとか夫を正しい方向に導こうとしてきた。初めての別居は、夫からの独立だけでなく、自分自身の共依存からの脱却でもあった。

ガンの恐怖で別居解消も
失った信頼は永遠に戻らない

 勤務先の健康診断で、ヒサエさんに乳がんが見つかったのは、それからまもなくだった。すぐに手術、そして術後の抗がん剤治療が待っていた。

 よりによって、独りぼっちになったタイミングで……。目の前が真っ暗になった。自分の人生はなんだったのだろうか――。やり場のない悲しみしかなかった。とにかく、ウイークリーマンションで生活していた夫には連絡をした。

 自分の病気について話すと、事情が事情だけに、すぐに自宅に戻ってきてくれた。「妻の病気は自分のせいか……」とも考えたようだった。

 ギャンブルで繰り返された夫の借金、別居、そして自分の病気……。長くヒサエさんをがんじがらめにしてきた「負の連鎖」は、ここに来てようやく断ち切れたようだった。