パチンコは80年代に入ると、俗に言う「フィーバー台」(「フィーバー」はパチンコ機器メーカー「三共」の商標名)が設置され、3桁のスロットで数字がそろうなどの大当たりを出せば、あっという間に大金を手にできる時代になっていた。「身近な娯楽」「庶民の息抜き」から、「もっとも手軽な賭博」へと姿を変えていった。

 夫の隠れた借金を見つければ、怒りに任せて、責め立てる直情型の妻はいるだろう。それで決定的な亀裂が入ってしまう夫婦もあるはずだ。

 だが、ヒサエさんは刹那に高ぶった感情に走りやすいタイプの女性ではない。いつも穏便に済ませることを選択する。そういう性格だった。

 隠れ借金という「夫の前歴」は、夫婦の関係に薄暗い影を落とした。家庭内には少しぎくしゃくした空気が流れるようになった。

 家庭内の雰囲気は、悪化したり、少し持ち直したりを繰り返した。「2度目」が起きたのは、そんなときだった。今度は、まとまった家計の預金が勝手に引き下ろされていた。

 ヒサエさんが問い詰めると、夫は「ギャンブルのせいで、消費者金融からの借金が300万円近くある。とても返せない」と開き直った。ごまかせないと覚悟を決めたのか、それとも借金額に途方に暮れたためなのかはわからない。ようやく夫のギャンブル癖が続いていたことに気がついた。

「間違いなく、私の心のなかではブチ切れていました。だけど、夫には強くは言えない。『今回もなんとかしてあげる。けれど、もう絶対にしないでね!しないよね、もう2度と!』と言って聞かせるだけでした」。

 ところが、3度目が起きてしまうまで、さほどの時間はかからなかった。92年、結婚してから7年が過ぎていた。空前のバブル景気は、わずか2、3年であっけなくはじけ飛んでいた。夫の転勤で、家族は北九州に引っ越していた。

「父の日」を目前に控えたある日。上の息子が幼稚園で、団扇に「お父さんの顔」を描いた。「先生に絵を褒められた」と喜びながら、それを夫にプレゼントした。

 その晩のことだった。またしても、ギャンブルで大きな借金ができていることを打ち明けられた。「昭和の女」の堪忍袋も、とうとう派手な音をたてて爆発した。息子がつくった団扇で夫をひっぱたき、猛烈な勢いでののしった。

 にもかかわらず、ヒサエさんには、この期に及んでも、夫に見切りをつけるという発想はなかった。