ギャンブル依存症の夫に4度もダマされ…「夫に尽くす昭和の妻」が陥った、もう1つの依存とは?写真はイメージです Photo:PIXTA

パチンコに溺れ、家族の大事なお金に手を付け、借金を重ねる夫。その夫を支えようとするが、何度も裏切られて絶望しつつも関係を断ち切れない妻。ギャンブル依存が生み出す悲劇は、今日もどこかで繰り返されている。本稿は、染谷一著『ギャンブル依存 日本人はなぜ、その沼にはまり込むのか』(平凡社新書)の一部を抜粋・編集したものです。

パチンコが幸せだった家庭を崩壊させる!
決して抜け出せないギャンブル依存の恐怖

 千葉県に住むヒサエさん、60歳。ヒサエさんが2歳年下の夫と結婚したのは1985年。大学を卒業した彼が、関西の金融関係の会社に就職した翌年だった。初任地の山口県で新生活をスタートさせた。学生のころから、彼はパチンコ好きだった。デート中にパチンコ店へ連れて行かれたこともしばしばだった。

 手元から弾かれていく球の行方に一喜一憂している彼の隣に座っていても、何がおもしろいのか自分にはまったく理解できない。負けが込んで、すっかりお金を使い果たしても、「やられちゃったよ!」と彼はあっけらかんとしていた。

「自分の彼はこういう人なんだ、と思っていました。今にして思えば、この段階でギャンブル依存の芽が吹きだしていたように思います」。

 卒業後、彼が社会に出るのを待ち、2人が結婚したころ、日本はバブルに向かって猛烈にアクセルをふかし始めていた。

 80年代のちょうど真ん中。先進5カ国が協調してドル安へと誘導した「プラザ合意」により、急激に円高が進んだものの、日本経済はその荒波を短期間で乗り越えた。その後に始まった景気過熱に合わせるように、金融機関はわが世の春を謳歌していた。夫の帰宅も毎晩のように深夜になった。酒の匂いをさせていることもしょっちゅうだった。

 86年には長男、88年には次男を授かった。夫の様子に変化が見られるようになったのは、2人目が生まれたころから。金の無心をされる回数が増えていった。

「後輩に金を貸した」「香典を出す」……。その都度、言われた額を黙って渡した。だが、夫の関心は、明らかに家族とは別のところに向いているように感じた。妻である自分のことも、生まれたばかりの2人目の子どものことも、ちゃんと見ていない。ヒサエさんの心のなかで、「ぼんやりとした不信」が大きくなっていった。

 やがて、それは「はっきりとした確信」になって表れた。ある日、夫が就職したときに始めた財形貯蓄がきれいに消えていることに気づいた。さらに、将来のためにと少額ながら保有していた株式もすべてがなくなっていた。

 夫に尋ねてみると、「消費者金融からの借金返済のためだった」と白状した。借金の理由を尋ねても、はっきりとは言わない。ギャンブル好きは知っていても、小銭で遊ぶパチンコが多額の借金をつくり出すなど、当時は想像さえできなかった。