乳房切除、さらにリンパ節まで取る大手術になったが、治療は無事に成功。その後の化学療法も功を奏した。再び夫と暮らすようになって6年の月日が流れた。幸いなことに、がん再発の兆候はない。

 今度こそ、夫もギャンブルに手を出さなくなっていた。少なくとも6年間はスリップした様子もない。短い別居生活を経て、2人は仲のいい夫婦に戻っていた。ギャンブルさえしなければ、決して悪い夫ではないのだ。

 一緒に散歩に出ることもあるし、笑い合うこともある。ただし、結婚した当初とは、2人の距離感は明らかに変わった。もう、夫婦が正面から向き合うことはない。何度も何度も「信じては裏切られ」を繰り返したのだから、それもやむを得ない。それでも、隣り合って、肩を並べ、同じ方向へ歩いている。

 共依存――。最近はインターネットなどでも、この言葉を見かけることが多い。厚労省のホームページには、「依存症者に必要とされることに存在価値を見出し、ともに依存を維持している周囲の人間の在り様」と説明されている。

 精神科医として、家族の問題に多く接してきた法政大学現代福祉学部の関谷秀子教授は、「共依存という言葉は、精神医学用語でも学術用語でもないので、臨床ではほとんど使いません」と前置きした上で、次のように説明する。

「家族が依存症を回復に導くのではなく、逆に悪化させてしまう状況で出てきた言葉だと思います。アルコール依存の場合などは、夫がかわいそうだから、お金を渡すことで、結果的に飲ませてしまうことになり、症状を悪化させてしまう」。

 関谷教授は、「夫に尽くす、非常に世話好きな人のなかには、自分がいなければ何もできない夫をつくり上げて、逆に支配をしてしまう場合もあります」と手厳しく言う。

 ヒサエさんの場合、夫のギャンブル癖に悩まされ続けながらも、必要に応じてお金を渡したり、過分な小遣いをあげたりしていた。さらに、幾度もスリップを繰り返しているのに、預金を自由に引き出せるような状況を放置していた。この「わきの甘さ」も、問題を長引かせた原因と考えられる。

「夫を信じているから、あえて通帳や印鑑を隠したりしなかった」と考えていたのかもしれないし、もっと厳しく突っ込むと「あえて通帳や印鑑を隠したりしない、鷹揚な自分」という、自己陶酔に近い思いがあったのかもしれない。

「長い間、夫に対して我慢を重ねてきた。いつかは報われると信じていたのに、そんな日は来なかった。なんだったんだろう、私の人生……」。