湾岸危機と取引銀行の営業停止
クライシス体験からの教訓

 入社間もない神戸時代には、何度か「キャリアの方向性について、T字モデル(アルファベットTの横軸が担当職務領域の幅、縦軸が専門性の程度を表す)で、横軸(ゼネラリスト)志向か縦軸(スペシャリスト)志向か?」を問われました。原価課で管理会計のスペシャリストを目指してスタートを切ったところでしたが、経営に対する関心の高まりから、漠然と「広領域で高度な専門性を兼ね備えたゼネラリスト」像を描き始めていました。

 筆者は入社5年目終わりの1987年3月、三菱電機ロンドンエンジニアリングセンターに経理財務の責任者として赴任しました。主に中東の産油国で発注者が指定する砂漠の中の土地(更地)に、「フルターンキー契約(プラントなどを完全に稼働可能な状態にして発注者に引き渡しを行う契約形態)」に基づき、建屋を含めた変電所建設プロジェクトの全体取りまとめのエンジニアリングを行う英国現法でした。
 
 国内工場の管理会計担当から、異文化環境に転じて、担当領域は、軸足を業績管理(管理会計)に置いて、経理(制度会計)、財務(資金・為替管理)、税務、そして契約管理や総務が加わり、小規模海外現法ながらCFOの役割を初めて担います。これも初となる、監査法人、金融機関、税理士法人、商社、工事業者、弁護士事務所等との社外コミュニケーションも重要業務になりました。

 T字モデルでは、縦軸(国内工場の管理会計スペシャリスト)から、軸足は業績管理(管理会計)に置きながら、横軸(海外現法のゼネラリスト)の担当領域の拡張です。それに伴い、「視座を高め、視野を拡げて、網羅的に全体俯瞰する」意識への拡大、意識改革の必要性を感じ始めました。

 1990年8月に直面したのが、当該英国現法の年間売り上げの7割から8割を占めて最大市場だったクウェートにイラクが侵攻した湾岸危機でした。翌年2月の湾岸戦争終結までの約8カ月間、クウェート国内の全てのプロジェクトが停止に追い込まれた地政学上のクライシスの発生です。

 危機発生直後からの非常事態対応により、数週間のうちにクウェート派遣者の安全確認が取れました。そして、12月上旬の全員無事帰国につながる安全確保のめどがついてくると、膠着状態の中、湾岸危機対象国以外は“Business is as usual.”に戻っていきます。ロンドンエンジニアリングセンターでは、湾岸危機後も見据え、存続をかけた通期業績確保、1990年12月期の赤字回避が重要課題となりました。

 屋台骨のクウェートビジネスの凍結により、売り上げは年間計画の半減以下の見込となります。DC方式を駆使しても赤字回避の解は見つかりません。諦めかけたときに活路を見いだしたのが、当時新規市場として取り組んでいたエジプトやトルコのプロジェクトに関わる現地工事の採算改善と、それらの契約通貨である現地通貨からの交換に関わる為替をてこにした為替差益でした。

 関係者が現場・現物・現実の三現主義に基づいて工事現場のある現地に赴き、契約管理の強化徹底と工事原価低減により工事採算の大幅改善を図ります。加えて、米ドル連動であった現地通貨の一時的な対英国ポンド高の好機を捉えた為替換算益の計上、即ち経常外収支の大幅な改善、も加えた総力戦により、最終損益の黒字確保に至りました。

 この地政学リスク顕在化によるクライシス(修羅場)体験は、「一見管理不可能な状況におかれても、経営は結果が全てであり、困難な経営課題も自己責任で受け止め、最後まで諦めずに解決に挑めば道は拓ける」という重要な教訓となり、CFOの業績結果責任に関わる自覚を高める機会ともなりました。

 1991年2月に湾岸戦争が終結し、クウェートビジネスが再開され、英国現法の平時回帰からほどなくして、新たな危機に遭遇します。取引銀行の営業停止、倒産です。

 ロンドンエンジニアリングセンターでは、余剰資金保有時には社内規程に基づき、事前承認されたリストの中から運用先(銀行)と金融商品(通常、元本リスクのない定期預金)を選定して、個別に短期運用をしていました。その取引行の中に、中東地域におけるネットワークからビジネス上の利便性が高く、有利な金利を提示していたベルギー本部の国際銀行があり、同行ロンドン支店に数億円相当の定期預金を預けていたときのことでした。

 1991年夏の朝、Financial Times(FT)1面下部の小さな記事で、同行の米国支店が営業停止になったことが報じられました。それを見た瞬間、ロンドン支店の定期預金が引き出し不能になり多額の損失が生じる事態が連想され、愕然とします。その日の営業開始時点で米国支店以外の通常営業継続と定期預金の安全性は確認が取れ、いったんは安堵します。しかし、一度抱いた恐怖心と危機感はぬぐい切れず、その日の午前中3度目の同行ロンドン支店への電話の際に定期預金解約と口座残高全額の邦銀ロンドン支店への即日送金を伝え、直ちに手続きを取りました。

 数日後、同行は全世界で営業停止となり、顧客の預金残高は全て引き出し不能となる事態に至りました。突発的なクライシス渦中の定期預金解約判断が、多額の損失を回避しました。危機感を抱いた感性に従った瞬時の判断による危機一髪の損失回避体験です。

 後日、日本では、同行東京支店の破綻前預金残高が合計500億円超にのぼったことや、日本企業の預金残高状況も一部会社名入りで報じられました。「他社の財務部門から照会があった」と本社財務から連絡が入ります。理由は、中東・アフリカで積極的な事業展開を行なう同行取引先の日本企業で損失を免れた数少ない事例として、危機回避の経緯についての照会とのことでした。 

 このクライシス(修羅場)体験は、FT一読の瞬間、血の気が引いたときから、自己責任で真摯に謙虚に受け止め、多くのことを学びました。筆者自身のクライシス遭遇時の心構え、「3Sによる緊急対応、感性(Sensitivity)を働かせ、危機感(Sense of urgency)を抱いたら、即座にスピード(Speed)対応をする」はこの体験が原点となっています。

 グローバル資金管理では、海外を含めた全グループ会社を対象とするCMS(Cash Management System)の重要性の再認識につながりました。筆者は、その後、グローバル財務ガバナンス(財務規律)と本社財務部による資金一元管理の確立と、CMS推進を基本思想としていきました。 
     
 この湾岸危機と取引銀行の営業停止といったクライシス(修羅場)は、国内工場、言い換えると「壁と組織で外界から守られている世界」では、直接遭遇する可能性は低いものです。この切迫した現実と現場対応からの学びは尊く、広くて深いもので、海外事業の厳しさ、業績結果責任、CFO全担当領域(T字横軸全般)にわたる責任、そして経営の厳しさなど、その後のCFOキャリアの礎となりました。

 1992年から2年間は、本社財務部の直接管理下にあり東南アジア・オセアニア地域(APAC)担当のシンガポールの金融子会社において、国際財務の専門家を目指し資金と為替の一元管理業務に携わりました。T字モデル縦軸のスペシャリスト業務に該当する、財務(海外地域統括)業務です。

 このジョブローテーション(異動)は、主担当の業務領域を入社後約10年間(うち後半5年間は海外現法CFO)の業績管理(管理会計)から、T字で財務(海外地域統括)に横軸展開する好機となり、キャリアパスで意義深い転機となりました。直前の英国における財務関連の業務経験とクライシス体験も生かし、域内の資金・為替一元管理強化とリスク管理を目的として、新たにAPAC地域のグループ会社対象の「資金と為替の網羅的(可視化)一元管理(表)」の導入も進めました。