時間管理のマトリックスからの気づき
スタンフォードへの留学 

 1994年後半から約4年間、米国ジョージア州で携帯電話端末の開発製造現法の経理財務責任者を務めました。直前の財務(海外地域統括)のスペシャリスト業務(T字縦軸)から、再び業績管理(管理会計)に軸足を置いた海外現法CFOのゼネラリスト業務(T字横軸)へのジョブローテーション(異動)です。携帯電話端末事業は、日本国内ではほぼ全ての電機メーカーが自社ブランド品を掲げ、しのぎを削っていた時代ですが、米国でもアナログからデジタルに進展する技術革新と競争環境激動の時代に入りました。

 競争激化に伴い米国現法事業は低採算化しつつあり、日本のマザー工場との協働による構造改革立案が最優先課題となる着任直後のスタートとなりました。英国で自覚を高めたCFOの業績結果責任に基づき、強い使命感を持って自身を鼓舞しながら、一段と厳しくなっていく事業環境下の業績改善に取り組んでいきます。技術革新を伴う継続的な競争環境激動への、数度の事業構造改革を含めた対応は、英国時代とは異なるクライシス体験となります。

 この米国駐在中には、構造改革に加えて、経営管理面の改革も推進しました。具体的には、導入済みERPの活用範囲拡大による原価計算(筆者には、初の量産品原価計算)の精度向上と、月次決算早期化(約3週間から実働1日へ短縮)などの意思決定支援に資するBPR推進と、「財務三表・月次予実管理」(年間経営計画を月次の財務三表に展開)制度導入などです。繁忙を極めながらも、現地スタッフと協働し、やりがいを感じながらひたむきに取り組んだ時期でもありました。

 このようなときに出会ったのが、スティーブン・R・コヴィー著『7つの習慣』の中の「時間管理のマトリックス」です(邦訳『7つの習慣』、フランクリン・コヴィー・ジャパン訳、キングベアー出版)。その4象限のマトリックスを眺めながら、「大半の時間を『重要度が高く・緊急度も高い』領域に費やす現状は長続きせず、やがてバーンアウトして課題解決の遅滞や怠惰な状況を招いてしまう」と痛切に感じ、「重要なのは能力向上につながる『自己啓発』などが入る『重要だけれど緊急ではない』領域。自身の能力向上のためにその領域に『時間を投資する』重要性。」に気づきを得ました。

 1996年に研修の一環として、アイビーリーグの1校であるダートマス大学のエイモス・タックビジネススクールの約4週間の夏季エグゼクティブプログラムに参加の機会を得ます。

 経営戦略やイノベーション等の最先端の経営理論も交えた授業は「目からうろこが落ちる」体験の連続で、それまでのクライシス(修羅場)体験を含む実務経験の中で抱き始めていた、

・日々新たな課題が生じる企業経営の中でもぐらたたき的な対症療法だけではなく、あらかじめ想定されるリスクには経営理論も踏まえて経営レベルを上げ、整然と予防法的に対応したい(もぐらたたき的対症療法から予防法へ)。
・そのために「持続的な成功をもたらす科学的で合理的な経営管理の仕組みづくり」

を求める思いが強くなり、「理論と実践の融合による科学的で合理的な経営」の魅力的な世界が眼前に広がる体験ともなりました。

 同時に、「欧米のビジネススクールのフルタイムコースで体系的により深く経営を学び、三菱電機の真のグローバル化に貢献していきたい」という強い思いがふつふつと湧き上がってきました。

 しかし、当時の三菱電機には、40歳前後の社員を対象とするビジネススクール派遣制度はありません。上記短期プログラム参加後1年が経過し、構造改革とBPRの推進など激務の渦中にあっても留学への思いは募るばかりとなります。そして、ついに本社に留学志願を伝えたところ、上司の理解とサポートにも恵まれ、留学許可をいただきます。「特例で1年間だけ出願を認める。会社派遣として、会社が留学費用を負担するが、万一卒業後5年以内に自己都合退職となったら、留学費用を返済する」ことが条件です。マサチューセッツ工科大学(MIT)とスタンフォード大学から入学許可を得て、スタンフォード留学を選びました。

 スタンフォード・ビジネススクールの学部長で、後にノーベル経済学賞を受賞されたマイケル・スペンス教授からの最初のスピーチは、

「このプログラムは、選抜された皆さんが、卒業後に経営の実践者“Business Practitioner”(ビジネスプラクティショナー:実務家)として、派遣元の企業経営で一層大きな役割を担うことができるようにグローバル・マネジメントとリーダーシップのさまざまな形態について学び、自らの指導力を向上させることを目的としている。そのため、ケーススタディーも使いながら実践的な最新の経営理論を教えていくが、ビジネスプラクティショナーにとって経営は結果が重要であり、理論倒れに終わってはいけない。スタンフォード・ビジネススクールで学ぶ意義は、一過性の成功にとどまらず再現可能性を高める『理論と実践の融合による科学的な経営』を学ぶことにある」

 と受け止めた趣旨で、自身の留学の動機を確認するものとして深く印象に残りました。

「理論倒れに終わってはいけない」は、実務家には「経営は結果が全て」とともに認識すべき重要なポイントであり、前述のピーター・ドラッカーの言葉にも通じる得心のいくものでした。
   
 スタンフォード留学を終え、海外駐在と合わせて12年ぶりに日本に帰国した直後の筆者は、留学目的の「三菱電機の真のグローバル化に貢献する」志を持って海外事業展開サポートを担当します。しかしながら、徐々に海外勤務・留学とのギャップ、特に小規模事業ながら権限と責任を伴い業績結果責任を担う海外現法の経理財務責任者(CFOの役割)と、日本の大きな組織の一員との間に存在すると筆者が感じた意識面のギャップなどを、すぐに埋めていくのは難しいのではないかと感じ始めるようになります。

 やがて、「シリコンバレー流起業文化を標榜する外資系多国籍企業でグローバルな活躍を期したい」という思いが生じ始めます。しかし、時は2000年直前、戦後の日本の高度経済成長を支えてきた「終身雇用と年功序列」の雇用制度が主流であり、転職はまだ一般的でなかった頃にグローバルに通用するプロフェッショナルを志して「終身雇用の保証がない世界」へ転じることは、筆者には大きな決断を要しました。

 加えて、留学後5年以内に自己都合退職をする場合は留学費用を返済することを誓約しています。「留学費用返済」と「(留学費用返済が不要となる)これから4年強の勤務継続」とをてんびんにかけて、最後は「職業人として最も生産的な活動が可能と考える『40代の4年強の時間』を得るため自分に投資する」と考えを整理して、家族の了解も得て退職の決意に至ります。

 終身雇用による雇用保証的な「ジョブセキュリティー」の世界を離れ、事業会社の財務のプロフェッショナルとして、自己責任と実力勝負でキャリアを形成していく、いわば「キャリアセキュリティー」の世界に転じていくのだという決意で身の引き締まる思いを抱いたことも思い出します。

 ここまでの経験や経験を通して考えてきたことを一部順不同で箇条書きにすると、

・新卒配属の工場における現場・現物・現実の三現主義や直接原価計算方式との出会いと学び
・三現主義の世界に最新の経営理論や経営戦略論をカスタマイズせずに持ち込もうとしても成功確率は低い。一方、経営施策に理論的裏付けがないと再現可能性の低い一過性の成功にとどまるリスクが高い。
・英国駐在中の2つのクライシス体験からの学び
(1)地政学リスクの顕在化などの局面で、「一見管理不可能な状況においても、経営は結果が全てであり、困難な経営課題も自己責任で真摯に謙虚に受け止め、最後まで諦めずに解決に挑む重要性」
(2)3Sによる緊急対応。感性(Sensitivity)を働かせ、危機感(Sense of urgency)を抱いたら、即座にスピード(Speed)対応をする
・米国駐在中のクライシス体験と時間管理マトリックスとの出会いを経た留学志願
・「重要だけれど緊急ではない」領域に「時間を投資する」重要性
・30代の3カ国駐在、特に英国と米国におけるクライシス体験はCFOとしての自覚を高め、自己成長の糧となった
・CFO人財育成の観点から、T字モデルのゼネラリスト(横軸)とスペシャリスト(縦軸)の両者経験を可能にするジョブローテーション(異動)によるキャリアパス形成は非常に効果的
・日々新たな課題が生じる企業経営の中でもぐらたたき的な対症療法だけではなく、あらかじめ想定されるリスクには経営レベルを上げて整然と予防法的に対応したい(もぐらたたき的対症療法から予防法へ)
・ビジネスパートナーとして経営状況やオポチュニティとリスクをタイムリーに把握して、的確に経営の意思決定支援を行いたい。そのために経営の羅針盤としてワールドクラスの経営管理のダッシュボードやナビゲーターを導入したい
・「持続的な成功をもたらす経営管理の仕組みづくり」と「理論と実践の融合による科学的で合理的な経営」を実現したいという向上心や渇望

といったものになり、これらが、本連載のテーマ、
・「グローバル経営におけるCFOの役割とCFO人財の育成」(メインテーマ)
・「理論と実践の融合による科学的で合理的な経営の実現」(サブテーマ)
の背景となっています。