自民以外に「国民政党」なき不幸
田端 僕が思うのは、ライドシェアや共同親権、夫婦別姓の問題は似ていると思っていて、これって使いたい人だけ使えばいいっていう話なのに国会で51%が賛成しないと法改正しないって違和感があって。政治的な妥協を重ねて多数決を取らないといけないこと自体が疑問に思えてきます。
維新も次の選挙で野党第一党に躍進するくらいまでは行くと思います。ただし問題はそこから先。過半数を取らない限りは物事が動かないという構造にあって、本当の意味でマジョリティーになれるのかどうか。
LINEの営業で自民党本部に行った時の話をしましたが、印象的な光景があるんです。
「拉致被害者を取り戻す国民運動本部」の立て看板があったり、日程表に「LGBTに関する勉強会」が入っていたり、世の中のあらゆる問題がここに持ち込まれているんですね。
自民党は1955年の立党時に「国民政党である」と自分たちのことを宣言していて、「国民政党」ってすごい言葉なんですが、まさにそうだなと感じたものでした。
藤田 田端さんの考える「国民政党」はどういうイメージでしょうか。
田端 特定の業界、地域、世代など有権者の一部グループだけの支持を得ようとするのではなくて、広く国民全体の民意を代表しようとしている政党ですね。
左派の人たちは「自民党は財界や資本家の味方だ!」とよく批判しますけど、岸田さんなんか、必要とあらば連合の大会に出席するのはわかりやすい話です。現状、自民党以外にそんな存在がない。
藤田 そこが日本の特殊な政治構造で、30年、いや70年、「一強」になってしまっているんですね。だから小泉進次郎さんたち若手の改革派が「ライドシェアが合理的だよね」と分かってはいても、彼らの権力構造の中でさまざまな力学が働いて結局、タクシー免許を80歳まで引き上げるような非合理な案が出てくるわけです。
これも全て、もう一つ健全な国民政党がなかったために競争原理が働いていないことに帰結するからだと僕は考えています。
田端 維新が政権に近づくには「国民政党」をめざす方向性は正しいと思うんです。というより、ならざるを得ない。
ただ、そうなると、社会保障改革をしようとして「働かざるもの、食うべからず」的なことをすれば、反発する人たちから「あなたたち国民政党になると言ってましたよね?」という声も出るのは必至。自民党がのめない対立軸はそこしかないと思うんですが、その時に維新がどうするかですよ。
藤田 僕たちは大阪の成功体験を見ているのかもしれませんが、大阪では、国民政党である自民党をコテンパンにやっつけて民意を得て大阪府政、市政を10年以上もお預かりしてきたことで、ある種の証明ができたようにも思えます。
さまざまな業界、いろんな層から支持を得てきたのが国民政党だったかもしれませんが、時代に合わせて合理的な社会を作っていこうと訴えれば、それを支持してくださる有権者も結構いるのではないでしょうか。田端さんがおっしゃる「国民政党」を、僕は「自民党システム」と呼んでいるんですが、それとは違うものを求めている人は増えています。
よく「大阪は都市部だから、維新が無党派層の支持を集められた」と言われるんですが、僕自身は大阪郊外の選挙区(大阪12区、寝屋川市、大東市、四條畷市)で、うちの地元みたいにのどかなところも多く、小さな自治体では親戚が公務員だらけみたいなところもあるんです。でも、そんなところでも維新が深い支持を得られているのを見ると、「新しい時代になって今のままではダメ」と感じている方がおられると確信しています。