胡錦濤と温家宝の二人に
次期国家主席候補とみなされていた人物

 李はもともと、前政権の胡錦濤と温家宝によって次期国家主席候補とみなされていた。そこに「紅二代」(中国共産党創設メンバーの子女)である習近平の存在が次期指導者として急浮上したが、それでも胡と温は李を国家主席に据えるつもりだった。だが、習にとってもう一人の「紅二代」次期指導者候補のライバルとみなされていた薄煕来が、家族による外国人殺害容疑や資産隠しなどが暴露されるという前代未聞の事件で失脚した結果、党内で激しい主導権争いが起き、習が国家主席、李が国務院総理となる案に落ち着いたとされる。このあたりは、すでに日本でも多くの分析書籍が出ているのでそちらをご覧いただきたい。

 ただ、李は出世街道を上る前に大学で経済学を収めていた。歴代中国指導者として初めて正式な博士号を持つ人物であり、実務に携わる総理職への就任はふさわしいといえた(なお、他の指導者たちの経歴にも「博士」「修士」が並ぶが、それらはすべて李のように論文を書いて取得したわけではなく、「名誉」的な後付けばかりである)。その結果、就任当時にはすでに「世界第2の経済大国」となり、また「世界工場」の異名を取っていた中国の経済発展に注目する人たちに、その手腕を大きく期待された。李の発言は「克強経済学」(リコノミクス)などともてはやされた。

 訃報の後にも、その当時を懐かしむ書き込みや切り取り動画がネットに多く流れた。たとえば、「中国はもう後戻りしない。開放の門は大きく開かれても閉じられることはない」と述べたニュース映像、就任直後に流れた「中国の統計数字は人工的に操作されている」、また昨年の「中国人の年間収入は平均にすると3万元(約63万円)だが、実際には6億の人口が毎月1000元(約2万円)の収入で暮らしている」という発言などが広くシェアされた。

 これらはどれも発表当時、中国のトップリーダーによる思い切った発言だとして国際社会でも大きく取り沙汰されたものだ。もちろん、中国社会には自分たちの気持ちを代弁してくれたという思いが広がり、そのたびごとに「新しい政治」への期待が溢れた。人々が李の死に際して、あえてこれらの発言を発掘して流しているのは、当時の気持ちを思い出したからだろう。

 李が目指した経済政策は、1990年代末のWTO加盟直前に大胆な経済改革を進めた朱鎔基のそれに近いとされる。朱鎔基こそいまだに中国経済人の中で人気の政治家だが、実際に李が総理を務めた10年間、中国では何が起きたか。