李の訃報を中国メディアはどう伝えたか
警戒態勢も、その理由は「偉大だったから」ではない
李の訃報後、日本を含めた海外メディアは、そのニュースを中国メディアがどう伝えるかに注目した。これは中国報道あるあるで、その取り扱われ方が現政権による旧指導者への評価とみなされるからだ。
ネットユーザーに日頃から「真理部」と呼ばれて皮肉られている共産党中央宣伝部は、27日のうちにメディアやネットプラットホーム運営各社に向けて、訃報を娯楽情報や商業活動と同じページや欄には載せないこと、さらに秋のイベントやカンフー映画などに関するすべての活動を中止するよう通達した。加えて「新華社、中央電視台、人民日報記事のみを転載すること」「ネットプラットホームのコメント欄をきちんと管理し、高すぎる評価を受けた言論には特に注意すること」などとする報道制限令を通知したことが分かっている。
またネットユーザーによると、台湾人歌手の梁静茹さんの「可惜不是你」(残念ながらあなたじゃなかった)という歌が再生できなくなっているという報告もあった(なお、この曲は昨年安倍首相が殺害された際にも、再生不能になっている)。
さらに、大学などにも、訃報についての学生たちの発言やネット書き込みに注目し、不当な発言は禁止、さらには集団で哀悼活動を行うなどの組織化、そうした活動への参加も制限するよう求める指令が下ったとされる。
ただ、こうした警戒体制が取られるのは李が「偉大だったから」ではない。
というのも、前述したように李が中国共産党の指導者の一人であったことは疑いなく、ここ10年間の失策の責任を負うべき立場にあることは間違いない。またそれ以前の1990年代終わりに李が河南省で党委員会書記を務めていた頃、同省で広がっていた、集団売血や輸血によるエイズ広域感染の実態を調べるように省の担当機関に命じた一方で、その事態を公にした研究者らを拘束した責任を問う声もある。
つまり、中国初の博士宰相であった李もまた間違いなく、中国共産党のシステムに従い、その中のルールを守って一歩一歩権力への道を登ってきた人間の一人だったのだから。
中国政府が今恐れているのは、李の訃報によってかつてのその前例のない発言や行動が切り取られ、称賛され、持ち上げられることだ。そして庶民が現状への不満から、それを持ち上げることで現政権、現政府に当てつけるムードが拡散していくことなのである。
李克強の突然の死が今の中国政治に与える影響はそれほどないだろう。だが、我々はこの事件を通じて、コロナゼロ対策以降の庶民の不満は決して収まっていないことを目の当たりにした。