「お金」は豊かさを構成する
パラメーターの1つにすぎない
山口:僕はお金を絶対的な存在ではなく、豊かさのなかのパーツの1つにすぎないと考えているんです。今まではお金しか数値化されていなかったから、それを絶対的な拠り所とするしかなかった面もあるけれど。
米田:豊かさ全体だってブータンで話題になったGNH(国民総幸福度)じゃないけども、最近は可視化されつつありますよね。たとえばフェイスブックの「友達」の人数などもいい例かもしれません。国民総幸福度じゃなくて、「個人総幸福度」みたいな指標があってもいいんじゃないか。これは経済的な豊さを否定するという単純な話じゃない。お金が必要なのは当たり前だけど、それだけを求めて他を否定するんじゃなくて、もっと総合的な自分の人生を考えるという指標ですね。僕は新刊『僕らの時代のライフデザイン』の中で「自・職・住」の三位一体のバランス、ということを書いたんだけど。そこにはお金も心身の健康も働くこと、住むこともすべて入っていて、すべてつながっている。
山口:そうですね。愛があふれている状況とか親密な関係とか、豊かさを構成する各パラメーターが今後もっと可視化されて計量化されるようになってくれば、お金はますます相対的な存在になる。ドラクエでいうところの、「攻撃力」「守備力」「すばやさ」「運のよさ」とかいうのと同じように、各パラメーターが個人にとってパラレルに存在する状況になっていく気がしますね。
米田:なるほど。でも、ある個人において「お金」が10でも「健康」が0だと、どうなんだろう?それでは全体としての幸福度はあまり上がりませんよね。また、お金っていうものも現実的には一番便利なものだから、やっぱり0というわけにはいかない。どのパラメーターもそこそこの数字じゃないと、結局は幸福や豊かさから遠ざかってしまうんじゃないでしょうか。
ただ、パラメーターに偏りのある個人でも1つだけ幸福度を上げる方法がある。攻撃力が10で防御力が0の人でも、治癒力の高い人がパーティーに入れば補えるのかもしれないんです。つまり、社会の形成の仕方とかコミュニティのあり方が今後どう変わっていくかで、個人の豊かさの有り様も影響を受けるんじゃないかなと考えていて。
山口:僕もコミュニティは重要だと思いますね。新たな関係が作られたり、その関係が外れて別の関係が作られたりすることが無数に行われるのが、生物界の本来あるべき正しい姿だから。もちろんそれは、ガシッとつながって身動きが取れなくなるような地縁社会ではなく、自分で主体的につながっていくコミュニティを指すんですけれど。
米田:「移動できる」とか「往復できる」ということが大切ですよね。たくさんのコミュニティとつながっていると、1つのところに依存しなくていいし、依存されなくてもいい。だからバランスもとれるんです。
山口:昔の電話交換師みたいな世界を、自分のなかで再現すればいいんですよ。つまり、さまざまなコミュニティポートフォリオを持って、そこのなかで自由につながったり、外れたりすることができることがこれからは重要なんじゃないかなと思う。
米田:住まいについても、子どもができたら海外に移住して、育ったら日本に戻ってくるというような多拠点でも全然いい。固定化されない流動的なコミュニティや住まいが必要になっていると思いますね。それは決して立脚点がないということじゃなく、同時並行でいろんなことが進んでいくだけ。自分にとっては、ある時点ではどれも大切だし、どれも外せないわけですから。そのなかで自分に足りない部分を誰かに補ってもらったり、許してもらったりすることが、たぶんお金に換算できない幸福度につながるんでしょうね。
山口:米田さんが本にも書いていらっしゃった、「何をやっているかわからない人」というのが、その1つの形ですよね。しかも今はそれが、ある種ブランドになるわけです。
米田:そう、ブラックボックスみたいなもので、そこに投げると何が出てくるかわからないけれど、でも何かやってくれそうだ、と思われる人。山口さんもやっぱり、ブラックボックスみたいな人ですよね。良い意味で何をやってるかよくわからない(笑)。僕も出版からソーシャルメディア、プロダクトの開発まで、いろんなことを相談される。それで、自分が面白そうだなと思ったらとりあえずやってみる。関わってみる。最初はお金にならなくても、どこかで仕事につながっていくし、最終的には仕事にしていくんです。
今は情報ツールは溢れているけど、ただじっとしていても何かを得ることはできない。でも、何かを入力すれば、必ず出力はある、みたいな。だから、自分がからまずはアクションを起こす。そして、差し出す、贈ること。その積み上げがその人の信用につながっていくし、総合的な実力とし認められ、評価につながっていくと思います。