中心とは、すなわち、収益の多くを持っていくのがここであるということである。その収益はサービスの利用料(運賃に相当)に課した手数料であるが、それを利用者と運転サービス提供者の双方に課す可能性がある。
運転サービスの利用料はサービス提供者が勝手に設定できるわけではなく、プラットフォーマーが決めて、オンライン決済されるので、プラットフォーマー経由でサービス提供者に支払われることになる。
さらに、これは欧米で実際に起こった話であるが、特に女性がライドシェアを利用した際に性的犯罪に遭う危険性がある(中には目的地でない建物に無理やり連れて行かれて、レイプされたという事例すらある)。しかし、補償する主体はサービス提供者、この場合は犯罪者であるから、補償など望むべくもないし、これらは全て「自己責任」の一言で片付けられる可能性もある。
そして、ライドシェアの最大の魅力はその利用料の安さである。つまり、サービス提供者の1回当たりの売り上げは低く抑えられるということである。
「タクシー不足、運転手不足だからライドシェアを解禁すべきだ」と言うが、そもそも需要が少ない、需要が限られているところで、最初からわざわざビジネスをしようなどとは考えないだろう。そして、需要が一定程度見込める大都市や比較的人口規模の大きな都市・地域でビジネスをしようということになると、勝負所は価格(=利用料)の競争力ということになるだろう。
そうなれば、運転サービス提供者はもちろんのこと、他のタクシー運転手の賃金も、競争に対応するためのコスト削減の一環としてさらに引き下げられてしまう可能性が高いことは、需給調整規制廃止後に何が起きたかを思い出せば、容易に想定できるだろう。
しかもこの賃金引き下げ圧力はタクシー運転手にとどまらず、他の公共交通関係者の賃金引き下げにもつながる可能性は否定できない。そうなれば、地域の需要が収縮にもつながっていく。つまり、地域経済が衰退していくことになる。
次に、安心安全がないがしろにされることになる可能性が高い。