ソニーはリストラで理想工場から乖離
ホンダも“らしさ”を喪失
ただし、SHM設立に至るまでの二十数年間は、両社にとって苦難の連続だった。
ソニーは90年代後半から10年代半ばまでの長きにわたり「早期退職」という名のリストラを続けた。多くのベテラン社員が会社を去り、残った社員も萎縮した。結果的に、井深氏が設立趣意書に記した「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」という創業の目的からソニーは遠ざかってしまった。
リストラ当時から、ソニーの祖業であり、物づくりの代表格であるエレキ部門は低収益部門として問題視されていたが、リストラ終了後も低迷は続いた。
長らくヒット商品や新規事業の成功から遠ざかっていたソニーの製造部門(半導体事業を除く)にとってSHMによるEV開発は久しぶりの前向きなチャレンジなのだ。
他方、ホンダの苦悩もソニーと同様に深刻だった。99年に満を持して発売したハイブリッド車(HV)初代「インサイト」が、先行していたトヨタのHV「プリウス」に挑み、返り討ちに遭った頃から低迷が始まった。
コンパクトカー「フィット」は02年、ホンダの登録車としては初めて国内販売台数が1位になるなど一時成功を収めたが、13~14年に計5回のリコールを実施する事態となって消費者の不信を買い、売れ行きが鈍ってしまった。
そうした苦境を脱するため、ホンダが選んだパートナーがソニーだった。ソニーは創業者同士が共鳴していたことが示すように、組織風土と理念に共通点が多い。ソニーは、自動運転で車からハンドルがなくなる時代の移動体験を実現するVR(仮想現実)の技術や、ゲームや音楽といったコンテンツなど、ホンダにはない資産を多く持っている。