元派遣工員を自称するが、職歴などほとんどなきに等しい20代の生活保護受給男性に至ってはこうだ。彼はひとり世帯と聞いていた。だが物件には常に彼以外の誰かがいる。それも一人や二人ではなく最低でも二人、多いときは五人くらいか。不審に思った俺は彼に、「彼、彼女らとはいったいどういう関係なのか?」と聞いた。すると、表情一つ変えずにこう言うのだ。
「生活保護受給費だけ(家賃扶助費も含む)だとカネにならんのですわ。せやから少しでも収入の足しにしたいと思うて。ここに居るのは皆、友人やけど寄宿代を取って泊めてますわ。行政には内緒にしてくださいね――」
察しはついていたが、生活保護受給者が家賃扶助を得て借りている住居で民泊だの転貸だのの商売を行うこと、これは言うまでもなく完全にアウトである。
「警察のご厄介」は日常茶飯事
一筋縄ではいかない入居者たち
もっとも、これらはまだまだ可愛いいほうだ。過去には、うちの物件を大麻工場兼受け渡し場所にしたり、児童ポルノをネットで拡散させたり……などの暴挙で警察のご厄介になった入居者もいた。今でも、その予備軍と思われる入居者がいる。
広い世間の常識をもってしても一筋縄ではいかない、海千山千の者たちばかりだ。
このエクストリーム大家という業に俺が本格的に取り組むことになったのは、5年前のこと。その年、2018年に亡くなった母から物件と入居者たちを引き継いだためである。
アパレル業界に身を置いていた母の雇用形態はフリーランス、個人事業主だった。収入は不安定だ。ゆえに安定収入、継続して決まった額の収入を求めて始めたのが、今で言うところのエクストリーム大家だった。
ワケありの人は、なかなか家を借りられない。だから、そうした人たちに家を貸せば確実に収入になる――今から約40年前、当時30代半ばと若かった母は、持ち前の元気と「皆が食べ、住め、楽しめる社会へ」という理想を武器に、慣れない大家業を始めた。
その客付けの場は、神戸だと湊川公園、大阪だと西成周辺と、今でもディープな場所として知られるところだ。