徳力 あんまり、インターネットに触れてこなかったんですかね。

腕利きマーケター、ディノス・セシールの石川森生が語る「キャリアのターニングポイント」徳力基彦 アジャイルメディア・ネットワーク アンバサダー・ブロガー /ピースオブケイク note プロデューサーNTTやIT系コンサルティングファームなどを経て、 2006年にアジャイルメディア・ネットワーク設立時からブロガーの一人として運営に参画。「アンバサダーを重視する アプローチ」をキーワードに、ソーシャルメディアの企業活用についての啓蒙活動を担当。2009年2月に代表取締役社長に就任し、2014年3月より取締役。2019年6月末で退任、7月から現職。同月 ピースオブケイク noteプロデューサー/ブロガーにも就任。 提供:Agenda note

石川 はい。ただ、そんな中で私がいつもチェックしていたのがYahoo!ショッピング。中学生の頃に「コンバースの靴が欲しいなあ」と眺めていたのが、最初のインターネット体験かもしれません。でも、そのうちオークションサイトのヤフオク!ができて、買うよりも先に売るようになっていましたね。

徳力 えっ、中学生でヤフオク!ですか。

石川 はい、中学校の3年生頃ですかね。骨董好きの親父が蚤の市などで買ってきたガラクタを売っていました。親父は自分のことを目利きだと思っていて、買ってきたものに「価値がある」と言い張るわけですが、家族からすると全部ゴミです(笑)。だから、親父が買った金額よりも高く売れたら認めようという話になり、私がヤフオクに出品し始めたんですよ。

徳力 テレビ番組の「開運!なんでも鑑定団」みたいですね。お父さんは100万円だと言い張っているけど、家族は1万円だと思っているみたいな(笑)。つまり、石川さんにとってのインターネットへのファーストコンタクトは、売る側だったんですね。

石川 そうですね。高校生になってからは、部活のバスケットボールばかりしてアルバイトをする時間がなかったので、小遣い稼ぎに乗り出しました。

 当時まだH&Mが日本に出店していなかったことに目をつけて、H&Mの本拠地であるスウェーデンに住んでいる友人に服を買ってもらい、日本に箱で送ってもらって、ヤフオク!で5倍くらいの値段を付けて売っていました。

徳力 えっ、凄すぎます。高校生から立派な商人ですね(笑)。それは、その後も続けるんですか。

石川 いえ、大学に入ってからは、していないですね。自分の時間ができて、アルバイトをして稼げるようになりましたから。

 高校生の頃は、単純に一番楽に稼げる方法がヤフオク!だったという理由だけで、インターネットで物を売ることに興味があったわけではありませんでした。

ネットが必ずビジネスの要になる判断し、SBIに入社

徳力 石川さんの経歴を拝見すると、大学卒業後はSBIホールディングスに入社し、EC向けのマーケティングソリューションなどを展開するSBIナビ(現ナビプラス)を立ち上げた後、ファッション通販サイト「マガシーク」のマーケティング責任者に就任。

 その後は、製菓・パン材料のECサイト「cotta」を運営するTUKURU社長に就任するというECサイトを中心としたキャリアを歩まれていますよね。そして現在は、ディノス・セシールで紙とデジタルを融合したマーケティングを推進しています。