天才数学者たちの知性の煌めき、絵画や音楽などの背景にある芸術性、AIやビッグデータを支える有用性…。とても美しくて、あまりにも深遠で、ものすごく役に立つ学問である数学の魅力を、身近な話題を導入に、語りかけるような文章、丁寧な説明で解き明かす数学エッセイ『とてつもない数学』。鎌田浩毅氏(京都大学教授)「数学“零点”を取った私のトラウマを払拭してくれた」(「プレジデント2020/9/4号」)、「人気の数学塾塾長が数学の奥深さと美しさ、社会への影響力などを数学愛たっぷりにつづる。読みやすく編集され、数学の扉が開くきっかけになるかもしれない」(朝日新聞2020/7/25掲載)、佐藤優氏「永野裕之著『とてつもない数学』は、粉飾決算を見抜く力を付ける上でも有効だ」(「週刊ダイヤモンド2020/7/18号」)、教育系YouTuberヨビノリたくみ氏「色々な角度から『数学の美しさ』を実感できる一冊!!」と絶賛されている。今回は、著者の書き下ろし原稿を特別に掲載する。
おにぎりの重さと牛乳の重さの違い
コンビニで売っているおにぎりは約100gである。これが、「10%増量」のキャンペーン中は110gになる。
もし目の前に100gのおにぎりと110gのおにぎりがあって、両方を手に持ったら、重さの違いがわかるだろうか?
おそらく多くの人が「10%増量」のシールが貼ってある方を重く感じるだろう。
一方、1000gちょうどの牛乳パックと1010gの別の牛乳パックを手に取ったときはどうか? 少なくとも筆者は両方の違いがわかる自信がない。
おにぎりも牛乳もその差は10gで同じである。しかし、前者は10%の違い、後者は1%の違いなので感じ方が違う。
ウェーバーの法則
実は、人が感知できる最小の刺激差(最小可知差異という)の、基準となる刺激に対する割合はほぼ一定であることがわかっている。これを「ウェーバーの法則」と言う。19世紀のドイツの心理学者エルンスト・ウェーバー(1795-1878)が提唱した。
ちなみに、おもりの持ち上げにおいては、1.8%程度が標準的な最小可知差異だという報告がある。もちろん、人間の感覚に関わることなので、個人差もあり、厳密に正しいとは言えないが、中程度の刺激であれば、「ウェーバーの法則」は五感のすべてについてほぼ成り立つ。
ウェーバーの法則を応用すれば、手に持つ物体が100g→200gになったときと、200g→400gになったときの、人間が感じる「重くなった程度」=「刺激の増加量」は同じと言える。どちらも重さが2倍に増えているからだ。
このことは手にコインを1枚ずつ乗せていくときの感じ方の変化を想像すればわかりやすい。コインが1枚→2枚に増えたときと同程度の増え方に感じるのは、10枚→11枚のときではなく、10枚→20枚のときである。
さらに言えば、1枚→2枚のときに感じる増加量の「3倍」重くなったと感じるのは、「×2」を3回繰り返して、コインが8枚になったときである(1枚→2枚→4枚→8枚)。「×2」をn回繰り返すと、「n倍」重くなったと感じるわけだ。
では逆に、コインが32枚になったときは、1枚→2枚の何倍重く感じるだろうか?
「1枚→2枚→4枚→8枚→16枚→32枚」より「×2」が5回なので、「5倍」重くなったと感じるはずだ。つまり、同じ数を何回掛けたかがわかれば、どのように感じるかがわかる。
対数とは「同じ数を掛けた回数」のこと
一般に、同じ数を掛けた回数のことを「対数(logarithm)」という。「2を5回掛けたら32」は、「2を底としたときの32の対数は5」のように使う。
対数は高校の数学にも登場する。しかし、その存在意義がよくわからなかったという人は少なくないと思う。しかし、ウェーバーの法則からもわかるように、人間の感覚と対数は非常に密接な関係がある。
実際、夜空に輝く星の明るさを表す「等級」も、音の大きさの指標である「デシベル」も、地震の規模を表す「マグニチュード」も、その定義式には対数が使われている。
人命救助のために考え出された
対数を発明したのは、スコットランドの貴族であり、数学者・物理学者でもあったジョン・ネイピア(1550-1617)という人である。当時はいわゆる大航海時代であり、ヨーロッパ諸国は新天地を求めて遠洋航海を繰り返していた。
当然GPSやレーダーはない時代なので、見渡すかぎり水平線に囲まれた大海原では、星の見え方を頼りに自分の位置や行く方向を決めるしかない。そのためには文字通り天文学的な計算が必要になる。
電卓もない時代だから、計算ミスをしてしまい、船が漂流・難破するという事故が跡を絶たなかった。熱心なプロテスタントでもあったネイピアはこうした事態に心を痛め、少しでも計算を楽にしようと対数を発明した。
発明当初は人助けのための計算テクニックだった対数が、実は人間の感覚を司っていると知ったら、ネイピアも大いに驚くことだろう。
(本原稿は『とてつもない数学』の著者永野裕之氏による書き下ろしです。)
永野裕之(ながの・ひろゆき)
永野数学塾塾長
1974年東京生まれ。父は元東京大学教養学部教授の永野三郎(知能情報学)。東京大学理学部地球惑星物理学科卒。同大学院宇宙科学研究所(現JAXA)中退後、ウィーン国立音大へ留学。副指揮を務めた二期会公演モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」(演出:宮本亞門、指揮:パスカル・ヴェロ)が文化庁芸術祭大賞を受賞。主な著書に『大人のための数学勉強法』(ダイヤモンド社)、『東大→JAXA→人気数学塾塾長が書いた数に強くなる本』(PHP研究所)など。これまでに1000人以上の生徒を数学指導してきた実績を持ち、永野数学塾は、常に予約キャンセル待ちの人気となっている。NHK(Eテレ)「テストの花道」出演。朝日中高生新聞で『マスマスわかる数楽塾』連載(2016ー2018年)。朝日小学生新聞で『マスマス好きになる算数』連載(2019ー2020年)。『
とてつもない数学』(ダイヤモンド社)がロングセラーとなっている。
数学は、美しくて、深遠で、役に立つ――著者より
1から1000に増えるまでには約2ヵ月かかった。その後、11日で2000にまで増えた。さらに、3日後には、3000を超えてしまった。
これが何の数字かおわかりだろうか? 新型コロナウイルスの日本国内における感染者数の推移である。WHOによると、新型コロナウイルスは1人の感染者からおよそ2人(正確には1・4~2・5人)に感染するそうである。これは、感染者の数が1人→2人→4人→8人→16人……と「倍々ゲーム」で増えていくことを意味する。
「倍々ゲーム」を1から始めた場合、「→」を4回重ねても16にまでしか増えないが、10回重ねると1024まで増える。「→」を20回重ねれば、なんと100万を超えてしまう。このように同じ数を繰り返し掛けることによる変化を「指数関数的変化」と呼ぶ。最初はゆるやかにしか増えないのに、途中から爆発的に増えるというのは、指数関数的増加の最大の特徴だ。冒頭に紹介した感染者数の推移はまさにこの特徴にあてはまる。
もし数学がなかったら、私たちはかつて経験したことのない事態に見舞われたとき、ただ呆然と立ち尽くすか、「予言者」を名乗る人物の言葉を信じるしかないだろう。しかし、数学があれば、たとえ未曾有の感染病であっても、モデルを作り、論理的考察を重ねることで、確度の高い予想を立てることができる。それは未知の問題を解決する緒になる。
現代は、第四次産業革命の真っ只中にある。コンピューターとインターネットの普及によって、AI(人工知能)、IOT(モノのインターネット)、ビッグデータなどが産業に大きな変化をもたらしているのだ。そうした中で、数学の存在感は益々大きくなっている。国家や企業の命運を左右する戦略の決定から、ごくごくプライベートな問題に至るまで、数学の守備範囲は極めて広い。
たとえばイギリスの数学者ピーター・バックスは、2009年に「なぜ僕には恋人ができないのか?」という論文を書いた。その中で彼は、いわゆる「フェルミ推定」を使い、自分が理想とする女性がロンドンには26人いるはずだと算出している(ロンドンの人口を考えると、そのうちの誰かと出会える確率は極めて低いと結論した)。
「フェルミ推定」というのは、既知のデータといくつかの推定量を掛け合わせてだいたいの値をはじき出す手法のことを言う。GoogleやMicrosoftなどが入社試験に「東京にはマンホールがいくつあるか?」のような問題を頻繁に出したことから「フェルミ推定」は注目を集めるようになった。
また、つい最近、こんなニュースもあった。京都大学数理解析研究所の望月新一教授が8年前に書いた「ABC予想」についての論文の査読(内容チェック)が終わり、その正しさが確認されたという。誠に素晴らしいことであるが、このニュースを聞いて「正しいかどうかを判定するのに8年も?」と驚かれた方は多いのではないか。この論文は、発表された当時「理解できる数学者は10人もいないだろう」と言われた。数学はときに、世界最高ランクの頭脳が束になっても叶わないような高い知性を必要とする。
この度上梓させていただく『とてつもない数学』には、数学の、こうしたとてつもない懐の広さと魅力について書いた。数学の学問としての奥深さ、美しさを体現する芸術性、実学としての社会への影響力などを、文系の読者にも読みやすいように、できるだけ噛み砕いて書いたつもりである。また、ことり野デス子さんの可愛く、それでいて数学的に的を射たイラストもふんだんに盛り込まれているので是非お楽しみいただきたい。
歴史に名を残す数学者の姿も書いた。彼らについて知れば、数学は人類が脈々と受け継いできた「叡智の結晶」であることがわかるだけでなく、クールな数式の裏に隠された熱いドラマにも胸を打たれることだろう。
私自身は、高校時代に物理を通して数学の「とてつもなさ」を知った。公式として覚えさせられた数式の数々が、微分・積分によってすべて繋がることを知ったときの興奮と感動は今でもはっきりと覚えている。それは私にとって、数学という世界の扉が開いたような心持ちになる出来事だった。
その後は、数学の持つ合理性と美しさをどこにでも発見することができたし、数学が教えてくれるものの考え方が人生を生きる上での指針になることも知った。
1つの「とてつもなさ」をきっかけにして、こうした経験を積んだことこそ、私が数学の意味と意義とお伝えすることをライフワークにしていこうと決心した最大の理由である。数学の「とてつもなさ」が私の人生を変えたと言っても過言ではない。
本書が、読者にとっての「数学の扉」が開くきっかけになることを願っている。
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「色々な角度から『数学の美しさ』を実感できる一冊!!」
天才数学者たちの知性の煌めき、絵画や音楽などの背景にある芸術性、AIやビッグデータを支える有用性…。とても美しくて、あまりにも深遠で、ものすごく役に立つ学問である数学の魅力を、身近な話題を導入に、語りかけるような文章、丁寧な説明で解き明かす。文系でも楽しめる究極の数学読物!
数学の概念や理論・方法論は、主に16世紀以降、物理学、化学、生物学、天文学といった基礎科学はもちろん、工学、農学・医学、経済学といった実学にも応用され、さらには哲学や芸術までにも拡がった。そして、第四次産業革命(AI、IOT、インターネット、ナノテクノロジー、自動運転といった技術革新があらゆる場面の産業に引き起こしている技術変革)が進行中の現代では、数学の存在感は益々大きくなっている。
これからは、数学と無関係なものは何もない、と言えるところまで拡大していくのではないだろうか。そういう意味では数学の「とてつもなさ」は、今もなお発展中なのである。
本書では、ピタゴラス、デカルト、フェルマー、ニュートン、ライプニッツ、オイラー、ガウス、カントール……などの天才数学者たちの功績を紹介し、彼らがもたらした方程式、関数、微分積分、集合、確率、統計……といった数学上のブレイクスルーの意味をお伝えした。また、負の数、虚数、無限、N進法といった概念や、円周率やネイピア数という不思議な定数とその影響力の大きさ等についても書いた。
数学の大きな魅力の1つである「美しさ」にも1章を割いたし、魔方陣や万能天秤といったパズル的な話題を通して、数そのものの不思議さが感じられる「計算」も紹介した。我ながらヴァラエティに富んでいると思う。それだけ数学という学問は間口が広いのだ。
本書で紹介した数学の学問としての奥深さ、美しさを体現する芸術性、実学としての社会への影響力などを通して、数学の「とてつもなさ」が――どれかひとつでも――伝わっていますように。そして、あなたにとっての「数学の扉」が開くきっかけになりますように。(本書の「おわりに」より)