周囲の空気が凍りつきます。なぜなら、会長にはならず、社長の任期を今年で終えて退社するといっていた松井社長が、その頃、会長になりたいそぶりを見せ始めていたからです。しかし、社長にはいろいろスキャンダルがあり、「文春砲」の会社のトップに留まると集中砲火を受ける可能性があることを、社員全員が心配している――。そんな状況だったからです。

 社長は、口ごもりながら「社長としての任期は5月までです」(なんとも、含みのある発言です)。それを聞いた伊集院さん、周囲を見渡して大きな声で、「文春の社員の皆さん。よかったなあ。松井君は5月で退任だそうだよ。ご苦労さま」――。社員たちは心の中で拍手していたのですが、その拍手は社長には伝わらなかったようです。5月になって会長になると言い出し、社員たちから袋叩きに遭ってしまいます。

今だからこそ言える
連載一時中断の真の原因

 実は今回、伊集院さんが亡くなる直前に連載は終了していました。が、その前に一時、連載が中断していたことがあります。今だから明かしますが、それはジャニーズ事務所が原因でした。

 伊集院さんには『ギンギラギンにさりげなく』という近藤真彦さんの大ヒット曲を作詞したという縁がジャニーズとはあり、その後も作詞をよく引き受けていました。一方、彼が連載する文春は火のような勢いでジャニーズを攻撃。しかも、こともあろうに書き手は例の編集担当のS君です。

 S君のことを大変可愛がり、そしてジャニーズとも取引がある。S君が取材して書いた記事に文句をつけることもなく、ジャニーズにもケジメをつける。これが、私たちがあとで知った伊集院さんの突然の連載中止の理由だったようです。これもまた、侠気と言うのでしょう。彼は連載から身を引くことで自分の操を立てたのです。

 私は伊集院さんとはたった一度だけ仕事をしました。伊集院さんと元阪神タイガースの伝説のエース、江夏豊さんの対談です。江夏さんは、酒は呑まず、読書が大好きというプロ野球選手らしからぬ人。しかも伊集院さんの直木賞受賞作『受け月』が大好きだからというので、対談をしてもらうことになりました。

『受け月』は栄枯盛衰を経験した野球人をめぐる短編集です。伝説の大投手を前に、さすがに緊張している伊集院さんに、もともと言葉数が少ない江夏氏はボソっとつぶやきました。

「野球でいい目も、辛い目も見ました。だから、この小説を読むと、他人のことが書かれているように思えない。『この小説のセリフは俺の心を見透かしていたのか』と思うこともあるんです」

 伊集院さん自身は、立教大学の野球部員で、肘を壊して退部した経験があります。頂点を極めて奈落に落ちた投手と、入り口で挫折をした小説家。そこには、なんとも言えない温かい空気が流れていたことを思い出します。

(元週刊文春・月刊文芸春秋編集長 木俣正剛)