そうだよ「生きているだけ」と言ったって、実際のところ人はただ「生きているだけ」じゃすまない。誰だって息をしている限りは生活していかなくちゃいけないわけで、家事すなわち炊事洗濯掃除はどう転んだって死ぬ瞬間まで自分あるいは誰かがやらざるをえないのである。

 で、私はその「やらなきゃいけないこと」のいちいちを「楽しい」こととして思い浮かべることができた。

 いずれも社会から評価されるわけでもお金が儲かるわけでもなく、ただやらなきゃならん面倒なだけの作業。でも私は、誰がどう言おうとソレを掛け値なく楽しいと「思える」のだ。私はこのような認識を持つことにまんまと成功した。心の革命を成し遂げたのだ。そして素晴らしいことに、この我が楽しみのタネは、私が生きている限り尽きることはないのである。

 つまりは私はこれから年をとってできないことだらけになっても、いつだって「ただ生きているだけ」に満足できる可能性が高いってことなんじゃないでしょうか?

 いや私……なんか、すごい地点まで来てしまったんじゃなかろうか。

月なんて目指さなくていい
人生はちゃんと「手に負える」

 結局、「ラク家事」に目覚めた私が学んだ最大のことは、「自分で自分の面倒をみることができる」ということこそが、最高なんだってことだったのだと思う。

 ずっと、そんなふうに考えたことはなかった。というかその発想そのものがなかった。むしろ「誰かに自分の面倒をみてもらえる」人間のほうがエラい、あるいはラッキーなんだと信じていた。

 それにそもそも、自分で自分の面倒をみるなんて「できるはずない」と思い込んでもいた。それはあまりにも膨大すぎるミッションだった。あれこれ欲しいもの、やりたいものは無限に存在し、そのために膨大な便利な道具やイケてる服やら雑貨やらを買い込み続ける人生はそれだけで目が回るほど忙しくて終わりがなくて、そんなの自分の面倒をみることなど月に行くことと同じくらい困難なプロジェクトXだった。