関東大震災を機に
生まれ変わった東京の教訓
実は1923年の関東大震災では、発生の4年前には東京市長の後藤新平を中心に東京を大改造する計画が策定されていて、震災直後入閣して内務大臣となった後藤は、それを実行に移そうとしました。
それは、道路の拡張、コンクリート製の小学校建設、公園整備、鉄製の橋梁建設など斬新なものでした。地主の反対などで、当初構想にあった幹線道路幅108メートルは44メートルに縮小されるなどしたものの、それでも区画整理や延焼防止のための公園・ 道路 は、その後大きな役に立ちました。
昭和通り、靖国通り、環状5号線などはその成果です。そして、これが実現できたのは、区画整理に反対する地主などの私権制限を法律化したからでした。以前の記事「被災地をふみにじる『火事場泥棒』は実名公表で抑止できる【馳浩・石川県知事に直言】」でも述べた通り、やはり災害時には、憲法に緊急事態条項を付加して私権制限をする必要があります。
大震災や大噴火というと、我々には悲壮感しか浮かんできません。しかし、それをきっかけに日本列島を大改造し、首都圏に集中しすぎた国づくりを修正するなど、ピンチをチャンスに変えることも可能なはずです。
まずは岸田内閣に、大災害後の日本改造計画を策定していただきたいと思いますが、現状の岸田総理を見ている限り、大がかりなことは望めそうにもありません。未来予見能力と決断力をもつ政治家の出現が待たれます。
「次は富士山噴火か」と巷で不安が囁かれる中で、そんなことを考えました。
(元週刊文春・月刊文芸春秋編集長 木俣正剛)