災害への備えは進められるも
後手に回った石川県
もちろん、富士山噴火や南海トラフ地震といった災害は、国や自治体が「起こりうること」として準備をしています。いや「はずでした」というべきでしょう。能登半島は昨年すでに大きな地震を経験し、群発地震も起きていました。しかし、地元の石川県は全くと言っていいほど備えをしていなかったことが、地震直後に判明したからです。
石川県は2012年、今回と同じ能登半島北方沖でM8.1の地震が生じうると予測していましたが、政府の有識者会議がM7.6と予測すると、地域防災計画を見直し、地震想定をM7.0へと書き換え、被害は局地的で死者は7人程度という予測に変更しました。
当時の谷本正憲知事は、企業誘致に力を入れていたため「震災が少ない地域をアピールしたかった」という説が有力です。馳浩現知事は2年前に就任。防災計画の見直しを決めましたが、国の調査結果を待っていたこともあり、十分な準備措置はとられていませんでした。
その油断のツケは高くつきました。本来は「災害時に道路のどの部分の復旧を任せる」といった計画と契約が地元の建設業者となされているものですが、石川県や市町村の多くはそれもしていませんでした。東北地方の自治体が災害前からそういう契約を結んでいたからこそ、東日本大震災では、あの大きな揺れの中で、初日から道路復旧計画が決まり、建設業者への発注ができていました。
しかし、石川県では知事が元旦に東京に滞在しており、国に対応を丸投げした形で地元にもどったため、国が派遣したゼネコンと地元建設業者の調整に難航。重要なインフラ機関との話し合いもなかったので、道路に倒れている電柱1本を取り払うにも、電柱を取り除く許可を道路復旧の担当者が北陸電力にとるという、悠長なことが繰り返されていました。これは人災としか言いようがありません。
結局、道路復旧計画の全体像が決まったのは震災から10日目。東日本大震災の教訓は何も生かされていなかったという印象を、国民に与えてしまいました。
これから2月。厳寒の時期に入る被災地では、早急な復旧、仮設住宅の建設こそ住民の生命に関わる事態であるにもかかわらず、この責任を問うメディアは少ないと思うのは私だけでしょうか。