ハロプロで知られる大手芸能事務所アップフロントの新プロジェクトの代表となった筆者は、2007年にオーディションを実施。そこで採用した小学校6年生の小倉唯を、アイドル声優としてスターダムに引き上げた。多くの少女たちがアイドルを夢見ながら、地下にとどまり続けるなかで、小倉唯は何が違ったのか?筆者はどのような育成手法を取ったのか?※本稿は『アイドル声優の何が悪いのか? アイドル声優マネジメント』(たかみゆきひさ、星海社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
画一カリキュラムの養成所では
タレントの個性が死んでしまう
以前、芸能界のとある偉い人から聞かれたことがあります。「タレントを効率よく育てる方法はないのか?」と。そのときにはっきりと「ありません!」とお答えしました。
こう聞くと養成所のように「一斉に同じレッスンを、大量の候補生を相手にやるのは、効率的ではないのか?」と考える人がいるでしょう。「教育」とは、一般的にはそういうものですよね。でも、僕の考えでは、タレントの育成においては、その方法がもっとも手間がかかります。
というのも、その方法では「スター」は生まれないからです。正確にいえば、その方法は似たような子を生み出す大量生産の方法であり、そこからスターを輩出するには大量に育成したなかから、偶発的にスターが誕生するのを待つしかない。
しかもそうしたレッスンを行うと個性が死んでしまう可能性が非常に高い、つまりスターが生まれにくい。
そうではなくて、きちんと個々の才能を見出し、マンツーマンで手間をかける。このやり方が結局、効率が悪そうで、もっともいい方法なのだと思います。ただ、見出したと思った才能が、結局ダメだった場合にはダメージが大きいので、バクチ要素も多々ありますから、自分の目を養うことがとても大事です。
でも、そうしたコストやリスクを背負うことこそが、人を採用、育成する側の責任なのではないでしょうか。
僕はよく「アイドルは盆栽である」と言います。一般の人には盆栽って園芸とどう違うのか、盆栽の価値ってよくわからないという人が多いと思います。同様にアイドルには理解し難い特有の価値があります。
個々の特性をつかみ、適切に手を加えることによって価値あるものへと変貌させていく、そしてそれはひとつとして同じ物がない。盆栽のように曲がった枝までもが正解であり、アイドルにおいてその子ならではの「素」の個性をいかに活かすかというところは、盆栽という日本の文化に通じるところがあると考えます。