組織のルールを守りつつ、芦原さんへの謝罪を表明する方法はある

 では、どうすればいいか。「芦原さんの死」に対する責任問題を避けながら、申し訳ないという思いを伝える方法はいくつかある。例えば、謝罪の方面を変えて、責任の所在をぼやかす表現がある。

「芦原先生の作品を愛してくださったファンの皆様、私たち編集者がついていながら、芦原先生を守ることができずに申し訳ありません」

 亡くなったことに対する法的な責任ではなく、編集者として、芦原さんという才能のある作家の尊厳や意志を守ることができなかった、という道義的な責任を素直に認める。そんなメッセージを「編集者一同の総意」として打ち出せば、「芦原さんのように何かあっても守ってもられないのでは」という作家やファンの不安や恐怖も、今よりも解消されるはずだ。

 今回の声明に対して批判やダメ出しをしているわけではない。むしろ、危機管理広報のセオリーからすると非常にレベルが高い声明だ。会社側の説明から決して脱線することなく、訴訟リスクも回避しつつ、血の通った言葉で、読者や作家の感情に訴えている。筆者はプレスリリースの書き方講座なども行うが、広報やパブリックリレーションの視点を持つ「プロ」が関わっているのではないかと思うほどだ。

 ただ、完成度の高い声明文なら「鎮火」できるというものでもない。筆者の経験では、そういう声明文の多くは、会社を守ることに夢中になるあまり、弱い個人の心や尊厳を無意識に踏みにじっているケースが多いのだ。企業危機管理を担当する人は、ぜひ心に留めておいていただきたい。

(ノンフィクションライター 窪田順生)

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