転機となった食のドキュメンタリー『フード・インク』との出会い
映画の配給は楽しい仕事でした。権利関係の勉強もできましたし、外国人との交渉ごともよく勉強することができました。そして、だんだん僕がこだわり始めたのが、日本にとって意義あることをすることでした。それが、ドキュメンタリー映画の配給でした。しかし、ドキュメンタリー映画は、ヒットさせるのが難しかった。
最後の5作品は、すべて食のドキュメンタリーでした。その一つが、『フード・インク』。2007年のことです。
日本語に直訳すると、「株式会社食べ物」。実は自分たちが食べているものは、すっかり工業化されていて、本当に安全なのかわからなくなっている、と警鐘を鳴らす映画でした。実際、そういうことが起きていたわけです。映画としても、とてもよくできていて、すぐに日本での権利を買いました。
日本でも、それなりの話題になったので、ご存じの方も少なくないかもしれません。僕にとっては最後の配給映画でしたが、全国に展開しました。そして、思わぬところからツイッター(現X)を通じて連絡がやってきたのです。
尾崎牛というブランド和牛を育てた、尾崎宗春さんとの出会い
それが、宮崎県の和牛農家、尾崎宗春さんでした。自ら尾崎牛というブランドの和牛を育て、独自で販売を手がけていました。
宮崎には上映館がありませんでしたが、尾崎さんは予告編をご覧になり、わざわざ連絡をくださったのでした。「これは絶対、たくさんの人に見せないといけない」と。尾崎さんはご自身、アメリカに留学中に大規模農家でホルモン剤を打って牛を大きくしていた現場を見ていたのです。
この映画をきっかけに、僕は宮崎に招かれたのでした。そして厩舎の隣でバーベキューをしてもらったですが、僕と和牛との出会いでした。
牛肉商の名前を冠したブランド和牛は、国内では尾崎さんが先駆けです。今はWAGYUMAFIAでもメインの和牛として扱っているのがこの尾崎牛です。
尾崎牛を食べるまで、和牛はフォアグラのように強制的に給餌して、無理矢理に霜降り(サシ)を作っているのだろうと僕は思っていました。尾崎さんに会ったとき、「霜降りの焼肉はときおり食べますが、和牛はどうにも重くて。お腹が痛くなることもあります」と言ったら、こう返されました。
「まだ和牛素人だね。本当にいい和牛はまったく違う。それを知らないだけだからしょうがない。今日は一人1キロ用意したから、食べていきなさい」
1キロも食べられない、と思いましたが、尾崎さんは厩舎隣にある自宅の庭で、自らが一から調理し尾崎牛でいろいろな料理を作ってくれたのでした。尾崎さんのお話を伺って食べる尾崎牛の料理の数々。ついにはなんと全部、平らげてしまった自分がいたのです。
「僕は素人を騙す仕事は嫌だ。玄人を唸らせる仕事をしたいんだ」
このとき、僕の和牛のイメージはガラッと変わりました。それまでにいろいろな牛肉を食べてきましたが、こんなにおいしい牛肉は初めてでした。「なるほど、これが和牛というカテゴリーなのか」と改めて思ったのです。
そして尾崎さんの放った一言が、僕の心を強烈に突き刺すことになります。
「僕は素人を騙す仕事は嫌だ。玄人を唸らせる仕事をしたいんだ」
僕は自分のレストランで、尾崎牛を扱わせてもらうことにしました。お店でも、とても好評でした。
いろいろなご縁がさまざまにつながって、僕は和牛にたどりついたのでした。実は意外なヒントが、周囲にたくさん転がっている可能性は大いにあるのです。それを、目を凝らして見てみるべきなのです。
(本原稿は、浜田寿人著『ウルトラ・ニッチ』を抜粋、編集したものです)