「日本のニッチが世界のメジャーになる、新しい時代がやってきた!」
そう語るのは、世界中のVIPがいま押し寄せているWAGYUMAFIAの浜田寿人氏。浜田氏は、「ニッポンの和牛を世界へ!」をコンセプトに結成された「WAGYUMAFIA」を主宰。和牛の食材としての魅力を伝えるために世界100都市のワールドツアーを敢行。世界のトップシェフと日本の和牛を使ってDJのように独自の料理にしていくのが話題になり、全世界の名だたるVIPから指名される、トップレストランへと成長しています。「1個10万円のカツサンドが飛ぶように売れる」「デビッド・ベッカムなど世界の名だたるVIPから単独指名を受ける」、そんな秘密をはじめて公開して話題となっている著書『ウルトラ・ニッチ』の中から、本連載ではエッセンスをご紹介していきます。

経済学者の父が16歳の僕に教えてくれた人生で大切なことPhoto: Adobe Stock

意外なヒントに気づけ

 1980年代、幼少の頃から父親の仕事の関係で、僕はずっと東南アジアとオセアニアで過ごしていました。あちこち転々として、日本に戻ってきたのが、小学校4年のとき。海外で過ごした経験は、後の人生に大きな影響を与えました。

 料理好きになったのも、そのひとつです。発展途上国ですから、家族で外食する、なんてことはなかなかできない。どうするのかというと、父親がどこかのレストランで食べてきたおいしいものを、家で再現するのです。家族総出で市場に食材を仕入れに行って。

 大学教授だった父の給料はそれほど多くないですから、マレーシアでもオーストラリアでも、知人が家に来るときには市場で現地の食材を買って、母が料理を振る舞っていました。ピアニストを目指した母は、アーティスティックな人で、とても料理が上手でした。

 それを見て、自分でも料理をするようになりました。家のキッチンがテストキッチンのようになっていて、「ああでもない、こうでもない」「ここはこうしよう」などと母と一緒に作るのです。おいしい料理がとても身近にあった。これが僕の食との出会いになりました。

君の年で資本経済に投資する必要はない

 父は厳しい人で、何をやるにも簡単にお金を出すような人ではありませんでした。欲しいものがあったら、自分で小遣いを貯めるか、アルバイトするしかなかった。高校1年の夏、肉体労働のアルバイトで30万円ほど貯めました。それで、当時流行っていたAVコンポを買おうと思っていたのですが、父にこう言われました。

「僕の講演料は1時間50万円だ。君の2ヵ月分は、僕の40分ほどだということだ」

 経済学者なので難しいことを言うのです。

「君の年で資本経済に投資する必要はない、なぜ1時間50万円で講演ができるかといえば、発展途上国の経済発展論を英語で、しかも日本人で説明できる人間が僕しかいないからだ。なぜ、そうなったか。それは、君の年に自分に投資をしたからだ」

 そう言って、アルバイト代で航空券を買い、ニューヨークにいる父の元ゼミ生に会いに行くように言われました。

「僕は40代でニューヨークに行って感動した。今の時代、君の年齢で行ったらものすごく感動すると思う。夏休みが明けて高校に戻って、東大を目指すのも構わないが、ちょっと行ってきたらどうだ」

全身の力を込めて両頬をひっぱたかれたような衝撃

 1990年代前半のニューヨークは、治安が今ほど良くありませんでした。父の元ゼミ生の投資銀行マンと、その彼女の中国系アメリカ人のフォトグラファーと結果的に2ヵ月間、一緒に過ごし、僕は想像もしていなかったニューヨークライフを味わうことになります。

 音楽、ファッション、自由、ときどき聞こえてくる銃声とサイレン。海外に住んだことはありましたが、発展途上国とは、まったく違っていました。これがアメリカなのか、と思いました。のほほんと進学校に進み、日本の最高学府を目指すことが、一番の人生の目標と思っていた僕にとって、全身の力を込めて両頬をひっぱたかれたような衝撃でした。すぐにでもアメリカで暮らしたい、と思いました。

 それまでは、日本の最高学府に行きたい、大学受験に向けてしっかり勉強したいと言っていたのに、アメリカの衝撃を感じてからそんなものは意味がないものだとすぐに感じました。日本に帰国してすぐに、アメリカに行きたいと父に言いました。高校に戻っても、受験一色で画一的な空気に馴染めなくなっていきました。しかし、父はお金は一銭も出さない、と言います。勝手に自分で行ってくれ、と。

 そこで、留学する方法を自分で探し出しました。交換留学生のプログラム「インターナショナル・フェローシップ」です。高校2年のとき、ここに合格するのです。