「起業家が後悔しないための本」をコンセンプトにした、『起業家のためのリスク&法律入門』。実務経験豊富なベンチャーキャピタリストと弁護士が起業家に必要な法律知識を網羅的に解説した同書より、“スタートアップあるある”な失敗を描いたストーリーを抜粋して紹介します。第4回のテーマは「創業時に留意すべき過去の勤務先との関係」です。

会社の先輩が作ってくれたソースコード、副業に使ってもいいよね?

 ビジネスのことなんて、正直まったくわからなかった。

 小学校から高校まで、得意科目は常に数学や理科。人と話すのは苦手だし、文系科目はからっきし駄目。でも、中学生になると同時に、たまたま兄のお下がりを譲ってもらえたパソコンだけは大好きで、毎日寝る間も惜しんで触っていた。

 はじめは気になるアニメについての掲示板を見たり書き込んだりしているだけだったが、次第にどういうしくみでパソコンが動いているのかに興味を持つようになり、検索して得た情報を頼りにプログラミングもやりはじめた。大学生になる頃には、簡単なアプリケーションであれば自分で作れるようになっていて、将来はこの道で食べていけたらいいな、なんて無邪気に思っていた。

 大学では、情報系の学部に入学。学問一筋、というわけではなかったけれども、アルバイトも学問もそれなりにこなす日々を送った。プログラミングは好きだったが、研究室にこもるのはあまり性に合わないなと感じるようにもなっていて、大学院には行かずに就職することに。スタートアップでエンジニアのアルバイトをしたこともあったので、それなりの経験者として評価され、新卒ではそれなりに名の知れているECサイトの運営会社に入った。

 社会人になってからも、しばらくの間は、それなりに働いて、それなりに遊んでという生活を楽しんでいた。しかし、そんな平穏な日々に、ある日大きな変化が訪れる──大学1年生のときからの腐れ縁の友達に「一緒にビジネスをやらないか」と誘われたのだ。彼は僕とは正反対で、コミュニケーション力が高く、学生時代からさまざまなビジネスに手を出していた人間。お互いにまったくタイプが違うのが心地よくて、昔から何かと一緒にいた仲だ。

 ひとまず有名企業に就職したと聞いていたが、やはり自分の手でビジネスを手がけたい気持ちが抑えきれず、会社を辞めてしまったらしい。ECサイトを立ち上げようという構想を練ったが、彼自身はコードが書けないので、ちょうどECサイトの会社でエンジニアをしている僕に手伝ってほしいと思ったというのだ。

 僕にはいきなり会社をやめるほどの胆力はなかったが、ちょうどコロナ禍でリモートワークがメインになり、少し時間に余裕ができたところだったし、「会社の仕事に支障が出ない範囲なら」と二つ返事で引き受けた。

友人のスタートアップに誘われた

 サイドプロジェクトの開発は、思いのほか順調に進んだ。ちょうど本職のほうでは、新規ECサイト立ち上げのプロジェクトにアサインされたところで、その知見が大きく活かせたのだ。そこで得た知見やリソースをある程度転用しながら、僕たちのECサイトの開発も進められたので、とても効率よく立ち上がっていった。すでに他の従業員が作成済みのソースコード、そして上司から指示を受け作成予定だったソースコードの双方を、十二分に活用していった。「これこそまさにオープンソースだ」と得意げな気持ちになった。

 さらには、本業がリモートワークになったのも追い風となった。やるべき仕事をしっかり片付ければ、隙間時間がたくさん作れたので、本業の合間合間でサイドプロジェクトのほうも進められた。誰にも見られる心配はないし、気楽に開発できる。同じPCを使えば、ソースコードの転用も楽ちんだ。

 そうこうしているうちに、僕たちが立ち上げたECサイトのβ版をリリース。これまでになかったターゲット設定と、僕の本業での資産を活かした高機能なサイトが評判を呼び、ユーザー数や購入額はうなぎのぼりに増えていった。とても片手間では追いつかなくなってきたので、僕は本業を辞め、そちらのプロジェクトに専念することを決めた。これで立派な共同創業者だ。

 大規模な企業らしく、退職の手続は予想以上に面倒だったし、新プロジェクトが始動したばかりで上長とはけっこう揉めた。でも、半ば強引に退職の手続を進める。わざわざ出社して秘密情報が云々、競業関係にある事業が云々とごちゃごちゃ細かく書かれた誓約書へのサインなどを済ませ、晴れて自由の身になった。これで自分たちのプロジェクトに専念できる!

「え? 警告書?」

 退職から半年が経った頃、僕たちは大きな危機に見舞われていた。

 β版のローンチから3か月後、正式版のローンチも無事完了。テックメディアからの取材依頼もたくさん来るようになり、僕らの会社は注目スタートアップの1社となっていた。そうして少し有頂天になっていたとき、所属していた企業から「警告書」と題された書面が届いた。

 まったく心当たりがなかった。唐突すぎて、何かの間違いかイタズラだろうと思い、届いてから数日間は机の上で未開封のまま放置していたのだが、ふと開いてみると、目を疑うような文言が飛び込んできた。

前の勤務先から警告書が来た

 なんと、差止請求と損害賠償請求が記載されていたのだ。何でも、僕が既存のソースコードをコピーしてサイドプロジェクトに使っていたこと、本業に使うはずだったソースコードをサイドプロジェクトのほうに使っていたこと、しかもそれを勤務時間中に行っていたことが、社用パソコンの履歴から判明したというのだ。さらには、僕たちのプロダクトが、退社時の競業避止義務にも抵触しているらしい。

 顧問弁護士に相談してみると、「これはかなり厳しい事案ですね。裁判でソースコードの使用の差止が認められればサービスの継続が危ぶまれますし、損害賠償が認められるリスクもあります。いったんサービスの提供を停止するか否かも含めて、至急対応を検討しましょう」とのこと。成長街道を歩けていると思いはじめた矢先の出来事に、僕は目の前が真っ暗になってしまった──。