悔しかった人、悔しくなかった人
それぞれの理由

 まず、ある程度の結論から言うと「悔しい」と公言する人の割合は少なかった。では、「悔しい」という人はどのような理由でそう感じたか。

【中国に抜かされたとき】

・友好的な目で見ることのできない相手に負けたというのが単純に悔しかった。
・中国に対して多くの補助金(ODAなど)を費やしてきたのに、その補助している相手に上を行かれるという理不尽さと、それを許してしまう政府の不甲斐なさが悔しかった。

【ドイツに抜かされたとき】

・自動車製造対決で負けた気がして悔しかった。自動車製造業は両国の基幹産業と言えるので(※あくまで個人の感想です)。

 双方の国民感情について取り沙汰されてきている中国が相手になると、日本国民の思いも一筋縄ではいかないようである。一方ドイツ相手だと「いざ尋常に勝負して、その末に負けた」と冷静に悔しさを噛みしめることができているようだ。

 次に、「特に悔しくない」と考える人は多く、そこには様々な理由があった。その姿勢と傾向を見て、「負けを認めようとしていないだけだ。ただの現実逃避だ。負け惜しみだ」といった指摘も散見されるが、これについてはのちに触れるとして、ここではどのような「悔しくない理由」があったのかを見てもらいたい。

【中国に抜かされたとき】

・中国を、経済力だけでなく国として見たとき「豊か」とは言いがたいので、GDPで負けても国として負けたという気がしない。

・人口があれだけ多いので抜かされても仕方ないと思う。

・低価格な中国製の製品に我々の生活も大いに助けてもらってきている。(中国に抜かされた)当時はたしかに驚いたが順当な結果だったと思う。