初のプロパー会長は
ドラマプロデューサー出身

「聞こえますか。こちらは東京放送局、正午をお知らせします」。1925年3月1日、男性がそう呼び掛ける。NHKの前身となる東京放送局が、ラジオ試験放送を開始したときの一こまである。

 同年8月、三つの放送局が合併され、社団法人日本放送協会が発足する。会長に就任したのは、三井物産常務取締役の後、足利紡績や日本無線電信で代表取締役を務めていた岩原謙三である。本放送が開始された当時、放送時間は1日4時間で受信契約数はわずか866件。受信料は月額200円だった。

 その後、契約数は爆発的に増加する。太平洋戦争の勃発が、契約数の増加を後押ししたのだ。41年12月7日、内閣情報局の宮本吉夫氏が太平洋戦争の開戦に際し、ラジオを通じて「国家の赴くところ、国民の進むべきところを、ハッキリとお伝えします。国民の方々はどうぞラジオの前にお集まりください」と発した。

 ラジオでは、戦況のほか、出兵者の安否についても放送され、41年度の契約増加数は95万6000件に達した。戦時中の放送内容は内閣情報局によって検閲され、会長は逓信省(現総務省)出身者が歴任した。なお、朝日新聞社からNHK会長に就任した下村宏氏も逓信省出身の役人である。

 終戦から5年、50年に放送法が制定されると、日本放送協会は特殊法人として生まれ変わる。現在のNHKの誕生である。ここから、会長の任期は1期3年と定められ、経営委員会が任命する形になった。

 日本放送協会の特殊法人化の裏には、放送を占領政策に活用したい連合国軍総司令部(GHQ)の意向があった。GHQとの関係が深い憲法学者で東京大学教授の高野岩三郎氏が戦後の初代会長に就任した。

 NHKのプロパー会長は76年に誕生した。入局後、ドラマプロデューサーとして経験を積み、連続テレビ小説の基礎を築いた、坂本朝一氏だ。坂本氏は82年まで2期6年、会長職を務めた。その後、1度、三井物産出身の池田芳蔵氏が会長に就任しているが、しばらくはプロパー会長が続くことになる。

 関連会社を複数設立し、NHKの“拡大路線”をつくったのが、政治部記者の出身で「シマゲジ」と呼ばれた島桂次氏だ。島氏の辞任により、実現することはなかったが、島氏は“受信料制度からの脱却”を目指していた。当時、経営委員長だった住友銀行(現三井住友銀行)頭取で“住銀の天皇”と呼ばれた磯田一郎氏のバックアップの下、MICOという「メディア商社」をつくり、ニュースネットワーク「GNN」を設立すると発表したのだ。

 しかし、このGNN構想は幻に終わる。91年4月、放送衛星の打ち上げ失敗に関して、国会で虚偽答弁をしたことが追及され、島は引責辞任に追いやられた。

 プロパー会長時代の終焉するきっかけを招いたのは、97年7月から7年半の長期政権を築いた海老沢勝二氏だ。海老沢氏も政治部記者の出身である。独裁的な体制を築き上げ、北朝鮮の指導者の名前をもじった「エビジョンイル」とのあだ名が付いた。

 海老沢氏の失脚のきっかけは、2004年に明らかになったNHKプロデューサーによる制作費着服事件だ。海老沢氏は着服事件の参考人として、国会に招致された。だが、NHKはこの国会中継を生放送しなかった。これが批判を招き、海老沢氏は退任に追い込まれることとなった。

 さらに、次の会長には橋本元一氏が起用される。政治部出身で強権的だった島氏や海老沢氏とは異なり、クリーンなイメージのある技術畑出身の初の会長となった。だが、複数の職員によるインサイダー取引が発覚するなど不祥事はやまず、任期満了日に辞任するという異例の形で退く。それ以降、組織のガバナンス不全が問題視され、外部から会長が送り込まれることになったのだ。

 その後、会長人事や会長を指名する経営委員会の人選は時の政権の意向によって翻弄されてきた。

 橋本氏の後任で外部から招かれたのが、アサヒビール出身の福地茂雄氏である。経営委員長として指名したのが、富士フイルムホールディングスの古森重隆氏だ。両氏とも、トップ人事選定時の首相であった安倍晋三氏を応援する財界幹部が集う親睦会「四季の会」のメンバーである。

 福地氏の後任として東海旅客鉄道の松本正之氏を送り込んだのは、“JR東海の天皇”こと葛西敬之氏とされる。葛西氏は安倍氏に極めて近く、「四季の会」の主要メンバーである。みずほフィナンシャルグループ出身の前会長の前田晃伸氏は、就任時の記者会見で、自ら「四季の会」のメンバーだったと明かしている。

 近年の民間出身の会長はいずれも任期は1期3年にとどまっている。政治との距離感に加え、局内の複雑怪奇な権力争いなど、巨大組織のかじ取りが極めて難しいことを物語っているともいえる。

 外部出身の会長が16年にわたって続く一方で、内部ではプロパーを会長に担ごうとする動きもこれまであったとされる。では、局内では“悲願”ともいえる、プロパー出身会長の可能性はあるのか。

 現在、プロパー会長に最も近いとされているのは、報道出身で現副会長の井上樹彦氏だ。本特集の#1『【音声入手】NHK首脳が頼みの綱は「税金」と明言!受信料収入激減で“脱・公共放送”シナリオが浮上』で、今後のNHKの在り方について言及した人物である。

 実は、プロパー会長の誕生の鍵を握りそうな動きもある。それが、日本郵政の傘下のかんぽ生命保険の不正販売問題である。NHKは18年にかんぽ生命保険の不正販売について、「クローズアップ現代+」で追及した。これに対し、日本郵政グループがNHKに抗議し、経営委員長にも圧力をかけたとされる。

 当時の経営委員長だったNTT西日本出身の森下俊三氏は、会長だった上田良一氏を厳重注意した。これは、経営委員会が個別番組の内容に介入したと見なされ、放送法違反に当たる可能性がある。

 現在、経営委員会に対し、元NHK職員を含む110人が原告となり、議事録と録音データの開示を求めている。つまり、経営委員会側の手落ちをきっかけに、執行部側が優位に立つ可能性があるというのだ。霞が関の関係者も「潮目が変わる可能性がある」と指摘する。

 “プロパー会長”が打ち止めとなった背景には、相次ぐ不祥事やそれを隠蔽しようとした同局の不健全なガバナンス体制があるのは間違いない。プロパー会長復活の機運は高まりつつあるが、不祥事などが起きれば悲願は再度遠のくことになる。

Key Visual by Noriyo Shinoda, Graphic by Kaoru Kurata