昔の「離婚」は件数も少ない代わりに、有責が多いのが特徴でした。つまり、「性格の不一致」とか「話が合わない」くらいでは「離婚」などするものではなかったのです。

「妻が不倫をした」「夫が長年愛人と暮らして家に帰ってこない」など、明らかな理由があるからこそそうした結論に至るわけで、常にダークなイメージが「離婚」には付きまとっていました。

 ところが20年くらい前から、「離婚」の概念が変わってきたように思います。15年ほど前に離婚者のインタビュー調査をした時に、印象的かつ非常に多かったのが、「こんな人だと最初からわかっていれば、結婚しなかった」という声でした。

 今では典型的ともいえるこの離婚理由は、しかし30年以上前には、「そんなことで離婚はできない(すべきではない)」と人々が考えていた類のものです。

 おそらく団塊の世代でも、結婚してみたら「こんな人とは思わなかった!」というケースは膨大にあったでしょう。それでも彼らは生活や子どものためにと我慢をし、ある程度「結婚とはそういうもの」と自身を納得させて、自らの思いを呑み込んで生きてきたことでしょう。

 しかしながら、子どもたちの世代になると、それが立派な離婚理由として成り立ち、互いに愕然としているようなのです。

 2000年以降は、「イクメン」という言葉も登場しました。実態としてどのくらいの男性が主体的に家事育児に参加しているかはさておき、意識の上では「男性(夫)も育児に参加すべきもの・家事の手伝いをするもの」と考える人が増え、ベビーカーを押す父親や、抱っこひもで散歩する男性の姿を街中で目にする機会も増えました。

 家事育児に積極的に参加し、夫婦が仲良く対等に過ごしている姿を見て、「自分の結婚(生活)は間違っていたのかもしれない」と感じるようになった人は少なくないかもしれません。

 実際のところ、「子育てはお前(妻)の役割」「イエを守るのはお前の仕事」と一切協力してこなかった男性(夫)への長年の不満が蓄積され、「夫が寝たきりになったら、今度こそ復讐の時です」「夫が定年退職になるタイミングで離婚を切り出すのが、今の唯一の楽しみです」と語る相談者たちがいる、というのが事実です。

「できちゃった婚」から「授かり婚」へ
人々の意識が変わる背景とは

「世間体」を重視する日本社会において、何よりも分岐点になるのは「量」です。