ダメ押しにもう1問。

問題:皆さんは以下のような発言を聞いて、この人はどんな仕事をしている人だと思いますか?

「君らの仕事はさあ、お偉いさんたちに頭を下げてさ、なんとか予算やりくりして、それでもまだ面倒くさいこと言ってくる県民だとか政治家だとかにも、もう1回頭を下げて、配慮をして、それで話を通すことでしょ」

 言っておくが、ここまでの3例は、いずれも架空の例である。

 特定の人物の発言ではない。だが、この文章を見て、「ホリエモンっぽい」と感じた人が少なからずいるのではないだろうか。

 堀江貴文さんは、役割語の効果をよく理解している。使える表現に無数の選択肢がある中で、何を使えばどういう効果があるのか、自分がどのように見えるのかが分かっているのだ。

 上記は架空の例だが、「ホリエモンっぽい」と感じるということは、日ごろの発言からすでにキャラクター像が確立されているということだ。現代社会のオピニオンリーダーの一人として、さすがだと言うことができるだろう。

リーダーとしての
「役割語」がある

 さて、最後は、架空の例ではない。皆さんはこの発言を聞いて、どんな仕事をしている人だと思うだろうか。

「県庁というのはですね、別の言葉でいうとシンクタンクです。毎日毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいは物を作ったりとかいうことと違ってですね、基本的に皆さま方は、頭脳、知性の高い人たちです」

 もう、お分かりだろう。

 この言葉は、県を代表する知事という役割において、全くもって使われるべき言葉ではない。

 私たちはこの言葉から、差別意識や上級国民感が滲み出た人の像をイメージする。本人が、決してそうではないとしても、だ。使った言葉が、その人物像を特定してしまうのだ。

 信頼に足り、人々に希望を感じさせ、進むべき未来を共有してくれる社会のリーダーたるには、使うべき言葉がある。そうしたリーダーとしての「役割語」がある。

 語らうことが仕事であるならば、自身が使うべき「役割語」を運用できるようになることが、リーダーの第一歩だ。

 言葉というものの重さが分からないのであれば、自治体の長の職責は、6月と言わずお辞めになるのが妥当ではないか。