わたし自身も、オーストラリアに住んでいたときに家具を買い、「配達はいつにする?」と聞かれ、「いつでも大丈夫」と答えたところ一向に届かず、連絡したらまだ配送会社の倉庫にあった、ということがありました。業者としては「いつでもいいっていってるんだから、待っててもらえばいい」という発想だったのでしょう。主張の重要さを思い知らされた出来事です。
はっきり意見をいうことを「わがまま」と見なしてしまう同質性の高い文脈そのものを、問い直すことが必要だと思います。
自己主張は「わがまま」という思考を
抜け出すための考え方
自己主張する相手を「わがままだ」と非難するのではなく、自分も主張しましょう。
シーン(10)なら、「次はこの服屋さんに行きたい」というEさんに対して、「わたしはこの雑貨屋さんに行きたい」とか「町は疲れたから公園で緑を見たい」などと、他のメンバーもいえばいいのです。もしかしたら、「それいいね。さっきはわたしの行きたいところに行ったから、次はあなたが好きな場所にしよう」となるかもしれませんし、互いに「どうしてもこうしたい」とゆずらなければ「別行動にして何時にどこそこに集合」としてもいいはずです。
「ちがい」をイレギュラーな障害物とするのではなく、「ちがい」があることを前提にした合意形成を目指すのです。そうすることで自分とちがう人と接するハードルも下がり、多様な出会いに開かれていけるのではないでしょうか。
【selfishとassertive】
日本語の「わがまま」という言葉では「自分勝手」と「自己主張」の意味が混じりあっている、と書きました。他の言語ではそうではありません。
たとえば英語は、selfishとassertiveを区別します。selfishは「利己的、自分勝手」と訳され、他の人が不利益をこうむったとしても自分さえよければいい、という否定的な意味を持ちます。よく使われるような、「あの人、わがままだね」といわれるときの「わがまま」の意味は、こちらです。