日本の医療費は毎年数千億円ペースで増えており、厚労省発表の最新の数字では、過去最高の46兆円(2022年度)に達した。薬漬けやムダな検査にメスを入れて、医療費削減を狙う厚労省を、現場の医師はどう見ているのか。※本稿は、松永正訓『開業医の正体 患者、看護師、お金のすべて』(中公新書ラクレ)の一部を抜粋・編集したものです。
紙カルテ時代の病院は
「取りっぱぐれ」ばかり
医者の医療行為は出来高払いで、何か一つやるごとに診療報酬を受け取ることができる。検査をすれば○○点とか、処方をすれば○○点という具合である。開業医の中にはこういう点数に非常に詳しい人もいる。いや、むしろその方が普通かもしれない。だが、ぼくはまったく診療報酬点数に無頓着で何が何点なのか、まったく知らない。
ぼくが大学病院にいたとき、保護者にクレームを付けられたことがあった。
「毎月通って、毎回同じ検査をするのに、お会計のときに金額がバラバラなんです。なぜですか?納得できません」
ああ、なるほどとぼくは思った。当時の大学は会計システムが電子化されておらず、紙カルテの中には会計箋という用紙が挟まれていた。会計箋には処置や検査の名前がずらりと並んでいて、医者は処置や検査をやるごとに、そこに○を付けるというルールだった。ところがそういうシステムになっていること自体を、ぼくは先輩からちゃんと教わったことがなかった。先輩の先生たちも○を付けるのがいい加減だった。つまりきっちりと料金を取っていなかったのである。
「バラバラになる理由は、毎回ちゃんと料金をいただいていないからです。過剰に請求したことは一度もありません。こっちが取り損ねたことが何度もあったのだと思います」
「……そうなんですか?ちょっと納得いきませんけど。まあ、一応言っておきますからね」
その保護者はちょっと訝(いぶか)しげな顔だった。
今は電子カルテの中にオーダリングシステムが組み込まれている。だからと言ってコスト漏れがゼロになるわけではないが、紙でやっていたときよりはるかに正確だろう。大学時代、自分たちのやった医療行為に対してコストを請求しなかったというのは、病院に対する一種の背任みたいなものになるのだろうか。いずれにしても、当時の医者は医療を先輩から教わることはあっても、コストを取るということを教わることはまったくなかった。
そんな環境で育ったせいか、ぼくは今でも診療報酬に関心がほとんどない。2年に1回、中央社会保険医療協議会が診療報酬の改訂に関して厚労大臣に答申を出すが、ぼくは新聞でちらりと眺めるくらいである。でも、個人事業主としてこれではいけないのだろう。スタッフも雇っている身だから、ちゃんとクリニックの運営を考えなければならない。