ほとんどの人間に煩悩はある
付き合い方次第で苦にも楽にも

煩悩は使い方次第同書より転載

「煩悩」とは仏教上の言葉で、心身を悩ませ、かき乱し、煩わせ、惑わし、汚し、悟りへの道を妨げる心の総称です。百八煩悩とか八万四千の煩悩とか、限りなくあるようにも説かれ、人間の苦しみの原因は煩悩にあるとされています。

 しかし、煩悩のない人間はおそらくいませんし、人類の歴史を振り返ると、煩悩なくして科学や医療の発展も考えられません。暗い夜が明るく照らされ、病を治療できるようになったのも、安全で快適に暮らしたい、長生きしたいという執着や煩悩があってこそです。

 原始仏教では煩悩は滅すべきものですが、大乗仏教では「煩悩即菩提」という思想もあります。「菩提」は幸せや喜び、「即」はそのままで、「煩悩は、そのまま幸せと一体である」という意味です。何もせずに幸せになれるという意味ではありません。煩悩による苦しみがあるから、それが喜びに転ずるのです。

 例えば漫画家になりたい人は、その欲を叶えるために大変な苦労をしますが、苦労の過程も楽しかったりもします。苦しみが楽しみに転じるわけです。

 煩悩(苦しみ)がなければ菩提(幸せや喜び)もないのです。欲に振り回され心身のバランスを崩せば、煩悩は苦しみでしかありませんが、人生の目標を生み出す意欲になれば、努力や成長の糧になります。大切なのは煩悩との付き合い方です。