「覚悟」は梵語「ジャーガラ」に由来
ネガティブな「諦め」の意味も

迷いから覚めて真理を悟る同書より転載

「覚悟」は日常では重大な決心をしたり、諦めたり観念することなどに使いますが、「覚悟」も仏教語で、真理を悟り迷いから覚めたり智慧を得ることを言います。

 梵語のジャーガラで「目覚める」という意味です。「覚」は仏教ではとても重要な言葉で、「覚」にも「悟」にも「さとる」という意味があります。

 たとえば「覚者」と言えば「悟りを得た人・目覚めた人」である仏陀のことです。悟るというのは大変なことですから、決意や決心の意味で一般に用いられるようになったのも納得がいきます。

書影『仏にゃんのふわもこやさしい仏教の教え』『仏にゃんのふわもこやさしい仏教の教え』(笠間書院)
Jam 著、枡野俊明 監修

 でも、なぜネガティブな「諦め」の意味もあるのでしょう?これは「諦」という言葉に、「真実を明らかにする・悟る」という意味があるからかもしれません。

「諦める」の語源は「明らむ=明らかにする」で、お釈迦様も苦を克服するための真理として、「苦諦・集諦・滅諦・道諦」の四つを「四諦」としてあげています。「諦」により偏見や思い込みを捨て、ありのままに見たり知ったりすることができるのです。

 そんなわけで、仏教では「覚悟」は迷いからさめて真理を悟ることとして使われます。原因や真実を明らかにすれば迷いも減るし、対策をたてることもできるので、「覚悟」という言葉を使うときは、こういう意味もあると思い出してみてください。