日本ゴルフ界のレジェンド、青木功氏が4期8年の任期を終えて日本ゴルフツアー機構会長を退任した。8年にわたる青木政権は、迷走続きだった。特集『ビジネスに効く!ゴルフ場ランキング2024最新版』(全17回)の#13では、その8年間を検証し、採点する。(日本ゴルフジャーナリスト協会会長 小川 朗)
レジェンド青木功は
男子ツアーの救世主のはずだった
かつて世界一の賞金総額を誇った日本男子プロゴルフツアーは、1990年代後半から2000年代初めにかけて大型スポンサーの撤退が相次いだ。これに伴い、試合数が減少し、人気低迷が続いていた。
救世主として、選手たちに担ぎ出されたのが、ゴルフ界のレジェンドである青木功だった。日本ゴルフツアー機構(JGTO)会長就任を固辞し続けてきた青木は16年3月、とうとうJGTO会長に就任した。
副会長には、ダンロップ(現・住友ゴム工業)などで数々のトーナメントディレクターを務めゴルフ業界の発展に尽力した大西久光、プロゴルファーで日本プロゴルフ協会会長などを歴任した松井功が就任。大物が脇を固めた青木政権は盤石の船出をしたかに見えた。
しかし、現実は甘くなかった。青木が行脚をして頭を下げても、新たな試合を主催してくれるスポンサーは簡単には見つからなかった。既存のスポンサーをつなぎ留めるだけでも精いっぱいというのが現実だった。
次ページからは、JGTO青木功政権8年間の通信簿をお届けする。ターニングポイントは、幻となった超大物の副会長就任案だろう。