ビジネスに効く! 最強のゴルフ 王道のテニス#9Photo:Yoshimasa Nakano/gettyimages

男子プロゴルフの「総本山」である日本ゴルフツアー機構(JGTO)が揺れている。青木功会長の路線を巡り“内紛”が勃発。反青木派の幹部は辞任したものの、落着には程遠い。青木氏の任期満了となる来年に向け、後任にある大物財界人の名前が取り沙汰されている。特集『ビジネスに効く! 最強のゴルフ 王道のテニス』(全18回)の#9では、ジリ貧が続く男子ゴルフ界の苦境をリポートする。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)

「週刊ダイヤモンド」2023年5月13日号の第1特集を基に再編集。肩書や数値など情報は雑誌掲載時のもの。

JGTO副会長が任期半ばで辞任
青木体制でも男子プロの復活遠く

「もう1年(会長を)やりますのでよろしくお願いします」

 3月22日、東京都内で開かれた日本ゴルフツアー機構(JGTO)の定時社員総会と臨時理事会。スポーツ紙などによると、総会後の取材に応じた青木功会長は、そうあいさつしたという。

 青木氏らは、JGTO副会長を務めていた三木正浩氏(ABCマート創業者)が2月末に任期半ばで辞任していたことを明かした上で、「みんな勘違いして、(三木氏らと)けんかしてるとかなっているけれど、そんなことありません」(青木氏)と説明したという。男子ゴルフの「総本山」でいったい何が起きていたのか。

 まずは経緯を振り返ろう。1999年に設立されたJGTOは国内男子ツアーを統括する一般社団法人だ。そのJGTOの会長に青木氏が就いたのは2016年のこと。男子ゴルフは人気低迷が長く続き、相次ぐスポンサーの撤退には歯止めがかからなかった。

「世界の青木の力で試合を増やし、JGTOを改革しよう」。そんな機運が盛り上がり、選手会も中心となって担ぎ出したのが青木氏だったのである。

 青木氏の輝かしい実績は多く触れるまでもないだろう。80年代は尾崎将司氏や中嶋常幸氏と共に「AON時代」を築き上げ、ゴルフ人気をけん引。海外ツアーで日本人として初めて優勝したほか、世界ゴルフ殿堂入りも果たした。日本ツアーでも尾崎氏に次ぐ50勝以上を挙げている。

 そんな日本ゴルフ界の“レジェンド”ともいえる青木氏の名声はゴルフ界のみならず、財界にも轟いている。青木氏擁立の背景には、有力スポンサーのつなぎとめにとどまらず、新規獲得などに対する強い期待があったといえる。

 しかし、青木路線は当初のもくろみ通りに進んでいるとは言い難い。それは男子ツアー数を見ると明らかだ。23年度の男子ツアー数は前年度から1試合減の26試合。日本の男子ツアーはかつて欧米のツアーを上回る世界一の賞金総額を誇ったが、試合数は90年の44試合から減少の一途をたどり、足元では二十数試合という低空飛行が続いている。

 就任当初、2期限りで身を引くと公言していた青木氏。だが、すでに会長職は4期目に突入している。異例の長期政権が続く一方、青木路線での改革の成果を巡り、JGTOの内部で不満のマグマはたまっていたのだ。