これが、クラスター対策班のはじまりだ。いまでもしっかりと覚えている。「ちょっと来て」と言われたことを。当時、僕は京都に住んでいた。連絡を受けたのが金曜日の午後だったので、土日に顔を出して自分にできるアドバイスをしたらすぐに戻っていいのかな、と思い1泊分の荷物をもって東京に向かった。まさか、そのまま5カ月間、霞が関近くのビジネスホテルに滞在することになるとも知らずに……。

 ちなみに、クラスター対策班全体の指揮をとったのは僕を研究の世界に導いてくれた押谷先生、データ解析チームを主導したのは僕に数理モデルの手ほどきをしてくれた西浦先生、そして専門家会議や対策分科会といったトップレベルの会議体をまとめたのが、押谷先生がWHOで働いていたときの上司である尾身茂先生だった。

「身内ばかりで固めて馴れ合いの組織なんだな」と思われるかもしれないが、身内ばかり、というよりは「日本中の関係する専門家をほとんど全員集めた」というのが実態に近いと思う。

詳細な情報収集を支えた
地域の保健所スタッフ

 これまでに知られている従来の感染症で報告する必要があるものは、日本ではNESIDと呼ばれる仕組みで情報が集められ管理されている。しかしながら、新型コロナウイルス感染症は文字どおり新しい感染症だ。NESIDの枠組みにはのせられず、各自治体からの報告を受けて手作業で情報をまとめることになった。

 この地道な作業によって、2020年1~3月に報告されたほぼすべての感染者を僕たちはかなり詳細に把握していた。ただし、僕たちクラスター対策班のメンバーが実際に現地に赴いて調査をすることはほとんどない。疫学調査は、ときに国立感染症研究所のひとたちがサポートをしながら、地域の保健所のかたがたが中心になって行われた。

 結核や麻疹、そして食中毒の発生があったときにも同様の聞き取り調査が保健所によって行われていて、経験やノウハウが各地域で培われていたことが、新型コロナウイルス感染症の流行に際しても実地レベルでの詳細な情報収集を可能にしたのだ。