本会議場の控室で立ったまま神妙な顔つきのラインフェルト首相が、私を見つめながらこの「王国」について語りはじめた。この王国とは、以前は王族が行使していた権力を現在は政治家が行使しているが、王や王妃のような暮らしをしていない国のことだ。
筆者 贅沢や特権に縁のないスウェーデンの政治家のライフスタイルは、道義的な行動規範に従ったものなのですか?
ラインフェルト そう思います。スウェーデンには、ほかの国に見られるような大きな社会的格差がありません。このことは、スウェーデン社会で非常に重要視されています。それゆえ政治家にも、「上に立つ人」ではなく「私たちの1人」であることが求められます。スウェーデン社会における理念の基本原則であり、私もこの原則を快く思っています。
私はほかの人と同じように、ただの個人でいたいと思います。特別な人であるかのような扱いは受けたくない。この平等意識はスウェーデンの精神に反映されており、「スウェーデンというのはこういう国である」という国のアイデンティティーになっています。もし、私が普通の人とまったく違う贅沢な暮らしをしていると国民が感じれば、ほかの政治家でもそうでしょうが、私はかなり批判されることになるでしょう。
筆者 このようなスウェーデンの価値体系はどこから来ているのですか?
ラインフェルト スウェーデンには民主主義が深く根付いています。政治家だからといって裕福になったり、家族を金持ちにしたり、ほんのわずかの人が享受できるという特権が手に入るわけでもありません。私は、「彼は私の声を聴いている。私の問題を解決してくれている」と国民が言ってくれるような改革をし、この国をより良くすることを目指して政治家になりました。そうでなければ、有権者は他の人に投票したことでしょう。
私にとって、贅沢ができないことは問題となっていません。首相になる前からしていた日々の家事を楽しんでやっています。目立った違いは、警護官がいつも周りにいることです。それでも、ほかの国民と同じように、今でも家事や身の周りのことは自分でやっています。
筆者 大抵のスウェーデン人がするように、朝、首相も自分のシャツにアイロンをかけているのですか?