最大の問題点は
「国ごとに合わせた露出」が難しくなったこと
結局、話は元に戻るのですが、楽器をプレス機で潰す動画広告は、仮に日本語で右下に「これはCGで、広告上の演出です」と注記したとしても、今回の広告ではおそらく日本では炎上します。道具は大切なものであり、道具はそれを使う専門家にとっては魂そのものだという記号としての「意味」が社会に浸透しているからです。
そして、そのように考えれば考えるほど、この動画はどこが悪かったのかを突き止めるのは難しく感じてきます。
誰かを不快に感じさせる表現自体がダメなのだと「言う」ことは簡単ですが、映像を制作する立場でその原則をグローバルで多様な社会に向けて「発信する」ことは難しいことに気づかされます。多様性を受け入れることの大切さが強調される現代社会では、徐々にクリエイティブ自体が制限されます。
つまるところ今回の騒動の最大の問題点は、この広告は別にテレビで放送されたわけではないということです。
Appleのティム・クックCEOがSNSに動画をポストしたら炎上したというのが今回の事態です。これがテレビCMだったら、アメリカではプレス機の広告動画を放送し、日本では別のCM動画を流せば済んだ話です。
社会ごとにことなる「記号」があるから、広告は国ごとに違っていた方が効果が見込める。そんな常識がこれからは通用しなくなるかもしれません。
日本の社会では通用する面白CMも、欧米人は眉をひそめるかもしれませんし、中東では「犯罪」に認定されるかもしれない時代です。日本でしかテレビ広告をしていないからいいじゃないかと思っていても、ネット上にアップロードされれば動画は世界中に拡散されます。
そう考えると今回の炎上事件が意味するものを経営やブランドの立場で考えると、なかなかに袋小路に入ってしまう事件だと感じました。
そんなことを難しく考えるよりも単純に、「このCMは不快です」とだけ個人の感想を周囲に述べておいたほうが、現代社会は生きやすいのかもしれません。