「みんな終ってしまった」
妻が漏らした静かな悟り
前の日から小康を得ているかと思われた家内が、突然、
「息が止りそう。もう駄目……」
と、力無い声で訴えたのは、10月13日の午後3時を少し過ぎた頃だった。
「駄目ということはないだろう」
と、私は声を励まして耳許で呼び掛けた。
「……今までに辛いことは何度もあったけれども、2人で一緒に力を合わせて乗り切って来たじゃないか。駄目なんていわないで、今度も2人で乗り切ろう、ぼくがチャンと附いているんだから」
家内が微かに肯いたように見えたので、私は看護婦に連絡して主治医の診察を求めた。モルヒネの投与がはじまったのは、その日の午後6時からであった。
「新薬の抗生剤だ。これで楽になって来るだろう」
と、私はその頃見舞に来ていた姪たちにいった。
彼女たちは当然それがモルヒネであることを知っていたはずだから、これは家内に聴かせるためだったが、医学知識に詳しい家内が「新薬」の性質に気付いていないとも思われなかった。
この夜、というよりは翌14日未明の午前2時25分、病院からホテルに緊急の連絡があり、また顕著な徐脈が起ったという。急いで行ってみると、ナース・ステーションに置いてあるモニターのブラウン管は、65というような数字を映し出していた。
越えて、10月15日の午後のことである。
誰にいうともなく、家内は、
「もうなにもかも、みんな終ってしまった」
と、呟いた。
その寂寥に充ちた深い響きに対して、私は返す言葉がなかった。実は私もまた、どうすることもできぬまま「みんな終ってしまった」ことを、そのとき心の底から思い知らされていたからである。私は、しびれている右手も含めて、彼女の両手をじっと握りしめているだけだった。
この日から、モルヒネの投与量が増えた。夕刻、主治医や担当医に勧められてホテルに戻っても、相変らず2時間置きに眼が覚めてしまう夜がつづいていた。