迫りくる死を前に
2人だけの思い出旅行を

 ときどきは夕食の時間に間に合うように、N夫妻が病院やホテルを訪ねてくれることがある。N氏は地方議員、N夫人は画廊を経営していて、そこで年1回催される大家の余技展の末席に、家内の絵を2度ほど加えてもらったこともある。

 それがほとんど唯一の息抜きで、眠れようが眠れまいが朝は6時過ぎには起床し、7時に食堂が開くのを待ち兼ねて朝食を取り、そのあいだにランチ・ボックスを作ってもらって、8時少し前には病室に到着する。そこで夜の附添婦と昼間の附添である私とが交替し、それから10時間病室にいる。

 ランチ・ボックスは、バターと苺ジャムのサンドウィッチにピクルス、それにゆで卵2個という至極簡単なもので、私はそれを「コロスケ・ランチ」と呼んでいた。

 家内と私との共通の幼時体験に、「仔熊のコロスケ」という漫画がある。そのなかで、コロスケが苺ジャム付きの食パンを食べている1コマが実に旨そうで、家内も私も以前から鮮明に覚えていた。その「コロスケ・ランチ」を持って、附添夫の私が毎日現われる。どうだい、面白いだろうと、私は家内の反応にはお構いなく、勝手に面白がって見せた。

 その「コロスケ・ランチ」のボックスを、そろそろ開けようかと思っていた正午少し前である。モルヒネの投与がはじまってちょうど10日目の、10月23日のことであった。

 薬のせいで気分がよいのか、家内が穏やかな微笑を浮べて、私を見詰め、

「ずい分いろいろな所へ行ったわね」

 といった。

書影『妻と私・幼年時代』『妻と私・幼年時代』(文藝春秋)
江藤 淳 著

 そういえばプリンストンから帰って来るとき、2人でヨーロッパを廻っていると、汽車で出逢った老夫婦から、

「みんなは引退してから世界漫遊に出掛けるのに、この若夫婦はこの若さで同じことをしている」

 と感心されたことがあった。海外への旅行者が稀な、1960年代前半のことである。

「本当にそうだね、みんなそれぞれに面白かったね」

 と、私は答えたが、「また行こうね」とはどうしてもいえなかった。そのかわりに涙が迸り出て来たので、私はキチネットに姿を隠した。