教育ではなく強圧(教圧)
というパワハラをしていた

 そんなあるとき、私は師匠の藤平光一に呼ばれ、こう言われました。

「お前は期限を守らない内弟子が悪いと思っているだろう?だが、わしから見れば、お前のほうがもっと悪い」と。

「はい」と返事はしたものの、師匠の言葉を理解できませんでした。しかし、あるときにハッと気づきました。私は「教育」ではなく「強圧(教圧)」をしていたのです。

 私は「期限を守る」ということを無理強いし、彼の心は無意識のうちに、それに抵抗していたわけです。私は「なぜ彼が期限を守れないのか」ということを理解しようとせず、一方的に自分の言いたいことを押し付けていただけなのです。しかも、「期限を守る気がないならば内弟子をやめさせる」と力関係を持ちだして、力ずくで相手を変えようとしていたのだから、最悪です。現代においては、これはパワハラです。

 その後、私は彼がなぜ期限を守れないのか理解しようと対話を重ねました。「期限を守らないのはけしからん」という結論を前提に話をすると、相手のことは理解できません。しかし、こちらが真っさらな状態で話を聞くと、期限を守らない理由がわかってきました。彼は時間の奥行きをつかむことをひどく苦手にしていて、複数のことが同時に起こると、優先順位を決められず、まず目の前のことを優先していたのです。そこに悪意はまったくありませんでした。

 そこで、まずは一緒にスケジュールを立てる訓練を行い、何にどれだけ時間がかかるかを想定できるようにしました。すると、期限を守れるようになりました。「期限を守らないのはけしからん」というだけでは事態は悪くなる一方でしたが、対話によって本当の問題点が明らかになり、改善に向かい始めたのです。

 私は彼の表面的な行動だけを見て、その奥にあるものを見ていなかったわけです。彼の氣を感じられなかったのですから、導けなくて当然です。自分の未熟さを思い知りました。